サードマン理論、自分を救ってくれる人を受け入れられる人、受け入れられない人。
コンサル指導をしようとしても無理な経営者がいます。かたくなな人です。
そもそもサードマンとは、
苦難を解消してくれるように導いてくれる人のことで、由来は雪山で遭難状態など極限状態にある時に、霊のような目に見えない第三者が現れて安心や支えになることから。
私は関わる人みんなに、人生を勝って欲しいという想いで、約20年前にコンサルタントで起業しました。
これまで、110億円売り、本は4冊出版しています。今、5冊目を執筆中です。
私は、
子どもの頃から起業するまでの間は、非常に苦しい人生でした。どん底でした。
毎日がつらかったです。
一時期、とても楽しかった時もあったのですが、それは短期間で終焉して、
子どもの頃って、多くの人は笑うとか、楽しいとか、遊ぶっていうのは毎日のような日常だと思いますが、私は非常に苦しかったです。
そんな苦しかった中でも、サードマンが現れたことを覚えています。
一人目は、
小学3年の私を雇ってくれた人です。
今、思うとそんな子どもが働いても、邪魔になって、足手まといになっていたと思われます。よく働かせてくださいました。この人がいないと、給食費を払えませんでした。この人とは、ほとんど話したことはありません。
二人目は、
私立中学校の校長先生です。
私の人生にとって、大きな転換を作るための土台を提供してくれました。本当に大きな出会いです。この人とは、ほとんど話したことも会ったこともありません。
3人目は、
渋谷の路上で出会った占い師さんでした。
手相を診てもらう前には、名前と住所を書きました。今なら、安易には書きません。そして手相を診てもらうと、「こんなに、ひどい手を診たことはない」と言われました。このことだけよく覚えています。その他は、全然覚えていません。
1週間くらい後の朝早くに、
この占い師さんは当時、私が住んでいた茅ヶ崎のアパートに突然やって来ました。追い返そうと「予定があるから忙しい」と対応すると、何時に終わるかを聞かれて返答すると、一旦は帰ってくれましたが、また夕方に手みやげを持って来てくださいました。手みやげは、パチンコの景品でカップラーメンやお菓子など食品を頂きました。
渋谷で私を診た所、大変そうだったので心配になり来た、ということでした。ただ、それだけ伝えられただけで帰って行かれました。彼とは、この一度しか会っていません。何もセールスされていませんし、勧誘もされていません。
心配してくれたことを今でも覚えているくらい感謝しています。
4人目は、
二子玉川の高島屋にある紀伊國屋書店で、手あかで汚れた一冊の本でしたし、その著者の先生でした。
起業して、うまくいったのは、この本のおかげですし、この先生のおかげです。具体的な成功するためのノウハウの原理原則をたくさん教わりました。
例えば、
「謙遜するな」です。
これは、めちゃくちゃ大きな教えになりました。堂々とすることが相手にも安心を与えます。きちんと主張することで自分を活かす、自分をいじめないことを始めました。
この先生には、「君、暗いよ。」ともハッキリ言われました。この言葉で、自分が暗いことを初めて知りました。暗いこと(陰キャ)を直そうとは、思わず、暗く生きようと決められました。自分の軸です。
この先生とは何十回、100回以上会っていますが、二人だけで深く話したことはあまりありません。
無論、この他にも
大学で一人の同級生からは社会性を教えてもらいましたし、野球ファンのお友達は、最悪の時に手作りのご飯を食べさせてくれました。そして、その時々にお付き合いしていた女性もたくさん助けてくれました。
サードマンが現れて、
私がキャッチ出来たのは、私が意地や見栄、肩ひじを張らないで、「助けてくれる人がいれば助けて欲しい」と、思っていたことと、好き嫌いのこだわり、守りたいゾーンがなかったから、受け入れられたと思います。
起業して成功するため、
つらい人生から脱するために最近、大切だと考えていることは、
不幸が決定付けられる人は、柔軟性に乏しい人。
それに、
自分の好き嫌いに、縛られている人ということ。
自分が納得、理解出来ないことを受け入れられないからです。
逆に、起業して成功する人、幸せになる人は、
自分が良くなりそうなら、好き嫌いとか理解出来るとか出来ないとかに関係なく、助けてもらいたいと日ごろから思っている人。もっと言えば、「助けて欲しい」「教えて欲しい」「お腹が空いたから、食べさせて欲しい」と言える人かな、と思います。
そして、相手の対応は、生ぬるくはないですです、ヒントやきっかけをくれます。ここで、甘えすぎず、リスクを引き受けて立ち上がれるか、です。
あなたにも、サードマン、いましたか?
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