宇宙は寂しいから出来たのでしょうか〜「なかだ」の風景、「日本代表がんばれ!」と言う前に「自分が〜 | 最新の認知科学に基づいたコーチング&ヒーリングを同時にマスターできる世界に1つだけの習得レッスンとは?

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宇宙は寂しいから出来たのでしょうか~「なかだ」の風景、「日本代表がんばれ!」と言う前に「自分が~

「なかだ」さんの観ている風景が気になる、、、と対面セッション生や講座生に最近は良く言われます。



その風景を観たい人にはコッソリとみせようと思って活動してきているので、難しい質問だな、、、と、考え込んでいました。また、いくら指で指し示しても、僕の指ばかりを観て、指の先を観てくれる人が少ないのです。

そんな中、ふと思い浮かんだのは、『宇宙は寂しいから出来たんだ』という圧倒的な体感でしょうか。記憶が再合成された部分も当然ありますが、出来る限り体感を引っ張りだして書き綴っておきます。

というのも、「なかだ」自身オンラインゲームが好きで好きで、オンラインゲーム廃人という圧倒的な瞑想期間を数年以上経ながら、一週間ソバだけ生活で餓死しそうになるくらい痩せ細ったり(煩悩があまりなく、笑)、『ニルバーナのプロセスとテクニック』著ダンテスダイジや『中論』著龍樹などの東洋やチベット密教の本気のスピリチュアルをする中、どこで観えたかは忘れましたが、『宇宙は寂しいんだ(1人なんだ、でも、すべてなんだ)』という圧倒的な体感がありました。

ご飯食べるのがめんどくさいというか、その当時はリアリティ(R)として、バーチャル空間が僕の本当の世界、物理的現実世界がニセモノになっていました。

ゲームが自分にとってのリアルな世界だったわけです。
認知科学でいえば、リアリティの定義が変った、『小説に涙を流す問題』を思い出したいですね。

リアルだと思ったものがリアルなのです。

韓国人がネットカフェでオンラインゲームにハマって餓死するニュースを読むとその気持ちも分からなくもないのです。笑 

オンラインゲームが楽しくて、気持ちよくて、食べる事を忘れて餓死する、、、これって現代のダルマ大師ですよね。笑 瞑想して気持ちよくなって、足が腐ったことにすら気づかなかったダルマ大師ですが、誰かに発見されなければ、オンラインゲームで餓死する人と変らなかったのではないでしょうか。

内部表現を悟った瞬間、すべては心が生み出している、点と点と線の縁起、一人一宇宙、宇宙は寂しいから出来たんだ、空なる視点の自我、天国の世界などの指が示している世界が多分観えた瞬間でもあります。


まぁ、内部表現世界なので、自分でいくら観えたと言ってもトートロージーなのですから。


そこはみなさんが判断してください。


天国の世界の詰まらなさ、寂しさ、すべてが自分の思い通りになる世界のつまらなさ、人を支配して何が楽しいんだろう?有と無の上の階層、境界はないんだ、全ては知識の問題に還元できる、という世界が観えたからこそ、


天国の音楽であるモーツアルトの楽曲があまり好きになれずに、Rockという天国の音楽の進化である地獄の音楽の可能性が楽しいのかもしれませんね。



現代分析哲学的に言えば、「時間は過去から現在、未来に流れている」のではなく、アビダルマ哲学を始めとした「時間は未来から現在、過去に流れている」ことを前提として、

我々人類が今後どんどん情報状態に近づき、記憶の埋め込みや移し替えも少しずつ現代科学では可能になっている中、すべての記憶をハードディスクに移行できる世界になっていくことが予想されます。


そうすると、徐々に映画スタートレックのような転送装置が出来始めます。


そんな中問題になるのは、時空間転送後と転送前ではどちらがホンモノになるのか?という問題です。どちらか一方を消さなければ、宇宙に二人の人物が現れてしまいます。

その時に、どちらがホンモノになるのか?という哲学的な問題です。

答えは、転送前の人が「意図」によって転送後に情報がコピーされたわけですから、その「意図」が尊重されるわけです。

意図」といえば、「なかだ」が「本気」ですか?
「本気で現状を超えたいんですか?」と聞くのもこの「意図」の確認だからです。


「なかだ」の対面セッションに来られると自我という評価関数、重要性関数が変わり、別人になってしまいますから。


話を戻して、我々が情報状態のみになるとすべてが自分の思い通りになる世界が作れるようになってきます。

そして、そこで疑問に思うのは、そんなランダム性のない、完璧な、天国のような世界って楽しいんだろうか?ということです。


退屈なんじゃないか?と。


だからこそ、未来の人類がビックバンを起こして、物理空間という遊び場を作ったんじゃないか?という圧倒的な体感を、哲学的に体系化して書いて下さっていたのが、「苫米地英人宇宙を語る」著苫米地英人でした。

僕の観ている宇宙の美しさと悲しさ(孤独とすべて)と愛をどう伝えようか?といつも思うのですが、こんなフィードバックを頂きました。

(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
「ワールドカップ日本代表」の試合を観ていて、
「エフィカシーが下がって、ゴールの臨場感が薄れている!」
ゴール前での無駄なパス回しは、
現状の自分を観ているようでした…
「日本代表がんばれ!」と言う前に「自分ががんばれ!」です。

ブログを観て「自分は暇なんだ」と再認識しました。
空き時間を見つけては、せっせと本を読んでいます。

(引用終了)

自分ががんばれ!っていいですね!
自分が主人公なわけですから、自分が走るべきです!

(引用開始)苫米地英人宇宙を語る 著苫米地英人 P180~P181
「宇宙」や「空」が語られ、理解されても、それらの経や理論が理解されても、指している「そのもの」を圧倒的な体感で観ることができなければなりません。

同様に「自我」をどんなに徹底的に定義してもー例えば、自分の両親が誰々とか、卒業した学校がどこどことか、職場や、好きな食べ物など、いくらでも定義できますー

そのどれもが「自我」そのものではなく、「自我」に関わることに過ぎません。

「自我」を観ることが「宇宙」を観ることと、本質は同じであるということは、いろいろなところで語ってきたとおりです。

本書を読み終わった皆さんにこれからやってもらうことは、本書の知識を指針として、まずは、その指が指し示す目の前の宇宙「そのもの」をしっかり観てもらうということです。

更には、自分自身をしっかりと観てください。

それらを徹底的にやってもらえてはじめて、私が語りたかった「ほんとうの宇宙」が見えてくるはずです。そして、宇宙の美しさを共にしっかりと観ましょう。

(引用終了)

そして、「空」なる宇宙が自分に機能を果たすのではなく、自分が機能を持たせる(仮)という事を体感したからこそ、本気の中観をしているところです^^

また、空海の即身成仏のように、

自分はもう既に目的は達成している、自分自身がもう既になりたい自分であり、既に幸せであるという確信があります。今この瞬間しかないわけですし、上記で書いた通りですね。^^

そして、科学的な態度して、包摂半順序束=空として、俺はまだまだ観えていないし、常に一つ上があるのだから走り続けているところです。

また、知識がなければ、目の前の「宇宙」に書いてあっても観えないのです。

これが今、僕の観ている風景の一部です。
参考になれば、幸いです。

【参考書籍】

苫米地英人、宇宙を語る/角川春樹事務所

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