苦い思い出 | 月のベンチ

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両親の闘病記

女優の瀬○○香さんの出産のニュースが携帯メールに。
ここでブログをしているらしかったので覗いてみた。
お産前からお母さんがお手伝いに来てくれているらしい。
それを読みながら、また昔のことを思い出し、沸々と形容し難い感情がわいてきた。

また書かずにはいられなくなったので、お時間があればお付き合いください
m(_ _)m



母は、私を出産直前まで、父親(夫)に自営の仕事を休ませてもらえず、私は未熟児で生まれた。
しかも、産後すぐにまた仕事仕事と父親にせき立てられ、休まなければならない体調にもかかわらず朝から晩まで働かされた。
母が40そこそこで身体を壊したのは、このとき無理をしたからなのではないかと思えた。
実際、母はそう言っていた。
兄の出産のときは初産だったこともあり
、母方の祖父母が実家に母を連れ帰ったそうだ。
なので、兄は丸々と太った赤ちゃんだった。
母も写真で見る限りふっくらしていた。
逆に、私のときは母はげっそりと痩せてしまい、祖父母をとても心配させたらしい。
私はあとから思ったが、娘のそんな姿を見て、祖父母はどうして父親に意見しなかったのだろう?それとも父親が馬耳東風だったのだろうか?
母にそれを聞くのを忘れた。
父親はそういう類は全く記憶になどないだろうから聞くだけムダだ…。

そういえば、母方の祖母が亡くなったときのこと。
冬だった。
すぐに駆けつけたかったが、父親が自分の血圧の薬がもうないから、おまえ(私)が残って薬をもらってから来いと言った。
私がペーパードライバーでなかったら、父親だけ残して母を乗せてとっとと祖母のところへ行っていただろう。
母を車で連れて行かなければならなかったため、仕方なく翌日病院が開くのを待って薬をもらってから母の実家に急いだ。
でも、祖母はすでにお骨になっていた。
せめて祖母に最期のお別れがしたかったのに。
祖母だって、娘のダンナより孫に会いたかったに決まっている。
私は冬になると、このことも、よく思い出す。
母にも父親にも、言ったことはないが…

父親は私を育ててくれたが、私はときどき、悔しい思いに駆られることが、この三年多いのだ。