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「◯◯(長女)バァバに言ってくれてありがとうね!」

「だってバァバのママへの言い方があまりに酷くてさ!
聞いてたらアタマにきちゃって!
ママのこと心配していたの最初のうちだけだったし…」


まさか長女が母に反論してくれるとは思わなかった。

母はふてくされたままお風呂に入ってしまったようでまだ出てこない。

ダンナが突然死してさすがの母も私のことを心配してくれたけど、
それも長女の言うように最初のうちだけ。

お通夜の時も参列者の対応に追われている私を、
母は何かにつけてどうでもいいような事で呼びつける。

あれはどうなってるのか?これはどうするのか?等々、
今聞かなくてもいいような大したことのない用件ばかり何度も何度も…

この期に及んで『かまってちゃん』ならぬ、
『かまってばあちゃん』状態。

さすがに私もそんな母に辟易だった。

いつから母はこんなに空気の読めない人になってしまったのだろう?

もともと毒親だった母は、
父と別れてからますますその毒気が加速した

母にとって、
要領が悪く『グズ』で『頭の悪い』私はイライラの根源らしい。

その昔…

母の望むような高偏差値の有名高校に進学できなかった私は、
母にとって近所の恥さらしだった。


「制服を着ているときに、
ご近所の人に会いそうになったら隠れなさいよ!」


と、そんな事を私に平気で言う。

自分の娘が近所の人に、
制服からどこの高校に通っているのかを知られたくないためだ。

だから高校の制服を着て母と一緒に電車に乗らなくてはいけないときも、


「あんたは隣の車輌に乗ってね。
バカ高校の娘の親と思われたくないから。」


と、いつも顔色ひとつ変えずに言われていた

ビックリしたのは母の昔の友人から電話がかかってきた時のこと…

母の友人の息子さんは有名な私立高校に進学したらしく、
要は自慢話しをしたくて母に電話をかけてきたようだった。

話しの流れで、
雫ちゃんはどこの高校に進学したの?と聞かれたらしい母は電話口の友人に、


「◯◯女子高校よ!」


と、目玉が飛び出るほどレベルの高い、
某有名私立女子高校の名前を言い放っていた

側でそのやり取りを聞いていた私は電話を切った母に、


「なんでそんなウソ言うの?」
 

と聞くと、


「だって、まさかあんたがバカ高校に行きましたなんて恥ずかしくて言えないじゃない!」


と悪びれる様子もなく言うのを聞いて、
我が親ながら呆れてものが言えなくなった。

それに私が幼い頃にイタズラをした時のお仕置きが、
お線香の火を足の指に押し付けるという残酷なお仕置き!

ホントこんな親に飲ませる解毒剤があったらどんなに飲ませたかったことか…

私も人の親になったけど、
自分の子どもは可愛くて仕方ない。

出来が悪かろうがなんだろうが、
そんなの関係なくやっぱり我が子は可愛い。

だから母がこうまでも私に毒を浴びせていた理由が全く解らない。

もちろん子どもたちが悪いことをした時はしっかり叱るけど、
お線香の火を足の指に押し付けるなんて残酷なことはどうしたって出来ない。

考えてみると母は私のことを愛情込めて『叱って』いたのではなく、
ただ単にストレス発散に『怒って』いただけだったのかもしれない。

母が父の不倫や離婚で心が疲弊してしまっていて余裕がなかったから、
そのストレスのはけ口を子どもの私に向けていたんだということは大人になってから理解できた。

でも、そういったことを差し引いても、
母だってシングルマザーだったのだから、
少しは私の気持ちに寄り添ってくれてもいいのではないかと思う。


「あんたは頭はバカだったけど、
いろいろあってもグレなかったからね〜
それが唯一のあんたの自慢だね!」


と、これが未だに母の口グセ…

やっぱり解毒剤はまだ必要なのかもしれない

母はふてくされたままお風呂から上がるとそのまま寝てしまった。


『やれやれ…
ダンナといいお母さんといい、
どうして私の周りには毒針持ちが集まるのかなぁ〜…』


余分な疲れまで背負い込んでしまい疲労度が増した私は、
眠気覚ましのコーヒーを入れながらブツブツと独り言を言う…


さぁ〜…


これでやっと告別式の準備に取りかかれる…


まだまだもう一踏ん張り…


明日に向けて頑張ろう!!