近畿地方の地震で被災された皆さまへ 

心よりお見舞い申し上げます。
今後更なる被害が拡大されないことを
お祈りいたします。




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母や娘たちがやっと寝静まったあと、
私は喪主の挨拶に向けての原稿に頭を抱えていた。

大人になると大勢の前で何かを話したり発表する機会が少なくなる。

仕事によってはそういった機会が多い職業もあるけど、
私の場合はせいぜい学校の保護者会で自己紹介をする程度。

喪主の挨拶なんてまるで小学生の頃に、
クラス全員の前で作文を発表するような緊張感だ。

小・中学生の頃、
私は作文を書くのが好きだった。

算数や数学のようなちゃんと答えがある教科は苦手だったけど、
解釈の数だけ無限に答えがある国語は大好き。

それに作文には自分の想いの丈を綴れる。

今の私しか知らない人はビックリするけど、
幼い頃の私は自己主張がなく内向的。

休み時間になると校庭で遊ぶよりも、
教室の隅っこで本を読んでいるほうが好きな子だった。


小学2年生に進級するとき、
祖父と父の事業失敗によって一家離散になり私は転校を余儀なくされる。

当時東京に住んでいた私は、
引っ越しによって関東のとある県へ引っ越すことに…

そこは関東だけど、
東京に住んでいた私には信じられないほど田舎に思えた。

東京の学校の校舎は鉄筋で校庭もコンクリート。
黒板消しには電動クリーナーがありトイレも水洗。

でも、転校した学校は木造校舎にボットントイレ!
校庭は少しの雨でグチャグチャになる土の校庭で、
黒板消しは物差しで叩いてチョークのホコリを出してキレイにする。

あまりにも今までと違う環境に戸惑い、
しかも転校先の小学校のクラスメイトは意地悪な子が多くて、
転校生の私はイジメの標的にされてしまった

毎日登校前になると元の学校に戻りたいと泣く私を、
鬼のような形相で学校まで引きずっていく毒母…

そんな環境だったので教科書を忘れても隣の席の子に「見せて」とも言えない。

先生も先生で、
忘れ物をすると男女関係なく下着一枚で校庭を3周走らせるというとんでもないペナルティを課せ、
悪いことをした子は物差しで叩かれる。

体罰だとすぐに騒がれる今ではとても考えられないペナルティだけど、
私が小学生の時代はそんなの日常茶飯事だった。
 
そんな環境の転校先になかなか馴染めなかった私は、
小学5年生になるまで休み時間はひとりでひっそり本を読んだり、
日記のように作文用紙に自分の想いを書いて過ごしていた。

皆んなの前で主張は出来なくても、 
紙の上には洗いざらいなんでも書ける。

嫌な先生…
意地悪なクラスメイト…
いちいちうるさい毒母…
生意気な弟…

皆んな皆んな大っきらい!!

そんなことばかり書いていた。

作文発表の時間は心地よい緊張感がスパイスになり、
日頃言えない自分の主張をおもいきり発表できる。

だから私は作文発表の時間がいつも楽しみだった。

そして…

中学生になると毎年弁論大会の学年代表に選ばれた。

でも私の主張があまりにも突拍子すぎて、
とうとう卒業するまで学校賞は獲得することが出来ず…

でも…

どんなに努力して学年代表に選ばれても、
母が私を褒めてくれることはなかった…


喪主の挨拶は心地良くもなんともない…

弁論大会や独身時代の仕事のプレゼンのように評価をされるわけでもない。

だからと言ってお涙頂戴もいやらしい…

考えれば考えるほど原稿が書けなくなっていった。

子どもの頃はあれだけ自由にスラスラと書けていたのに、
まるでスランプに陥った作家のように何も思い浮かばなくなる。

それはきっと作文のように自分の主張ではなく、
ダンナという人物像を通しての想いを書かなくてはいけないからなのかもしれない…

悩みに悩んで原稿を書き上げた頃には、
すっかり夜が明けスズメが鳴き始めていた。

カーテンを開けると早朝なのにむせかえるような猛暑の予感。

ダンナとも今日でとうとうお別れ…


『あと1日…
なんとか頑張ろう!!』


私は万感の思いを参列者の皆さんに伝えられるだろうか…


一睡もしないまま…


こうして告別式の朝を迎えた…