7月5日はダンナの二度目の祥月命日でした
命日によせて…
想いのままを綴っていますクローバー



ダンナがこの世を卒業してしまってから二度目の夏…

歳を重ねるにつれ夏の暑さがめっきり苦手になってしまったのに、
ダンナが逝ってしまってからますます夏が苦手になりました。


2017年7月5日…


私はこの日を境に世帯主になり

シングルマザーになり

そして未亡人に…

ものの数時間で一気に私の運命の歯車がガタガタと反対側に回り始め、
その物凄いスピードにココロがついていけず崩れ落ちそうになったあの猛暑の日…

ダンナは死に…
でも私は生きていかなくてはいけないという過酷な現実はただただ『恐怖』でしかありませんでした。

側に居たときは気づかなかったダンナという大きな盾…
私はその盾に守られて自分が存在していたことをダンナの死によって初めて思い知ったのです。

これからは何もかも自分ひとりで解決していかなくてはいけない…
精神面はもちろんのこと経済面も…

私の肩に果てしなくのしかかってくる
『重圧』というバケモノ…
そのバケモノの重さに私の全部が潰されそうになりました。

でも現実はあまりにも無情で待ったなし…
私を取り巻く現実は哀しみに浸ることさえ許してくれません。

経済的に余裕のなかった我が家では、
ツラいからと家に引き篭もる余裕もなかったのです。


ある日…

職場でご主人を亡くされた方と偶然お話しをする機会がありました。


「主人が亡くなってからね、
私は家の外に出られなくなってしまって…
主人が亡くなってから3年間ずっと家に引き篭もっていたのよ。
でも娘にこのままじゃいけないと言われて、
ようやく一念発起して働くことにしたの」


その方の哀しみは計り知れないものだったのでしょう。
でも私がその方のお話しを聞いて一番に思ったことは…


『私が3年も家に引き篭もっていたら、
家賃も払えないし娘たちにご飯を食べさせてあげることも出来ないな…』


でした。

これが…


『未亡人格差』なのでしょうか?


夫を喪った哀しみを癒すことだけに時間を使える人と…

夫を喪った哀しみに浸ることさえ許されずに
とにかく『生きていかなければいけない』という現実に放り出される人…



自由…


時間…


希望…



『未亡人格差』は私からたくさんのものを奪い去っていきました…