N先輩が助手席で,「これで石巻の人口が減った。」と話された。


 渡波地区は,自衛隊の重機を中心に車1台分通り抜けられるようにあけられていた道を,案内されて,中里から渡波小学校・渡波支所・渡波中学校と車を動かした。


 道の両脇すべてに1m以上の津波で砕け散った物が積み上げられている。車がガードレールに乗り上げたり,何回転かしたのだろうか?裏返ったりもとにもどっていたりしたのが当たり前のように続いていた。




 多分100件に1件ぐらい家が壊れずにたっているのかもしれない。




 石巻漫画館の建物が,はっきりと見える。その周りは板や車やそのほかばらばらになった木材らしき物の集まりだ。




 渡波小学校では,NPOの認可を受けている石巻青年会議所の方がリーダーシップをとっていて物資を供給していた。フリーマーケットの様相。一人20点までと決めて,必要な物を探して持っていってもらう方式だ。


 キリンビールからのホカロン(約2000個)とウエットテッシュを置いた。「粘着シートがついているやつ?」と10個組の新品の品物に注文をつける人がいた。よりよい20点をさがすのに一生懸命だ。


 八木山南地区のお宅に集まった衛生用品の箱を置く。歯ブラシがあり,小物なので,係の人が近くの方に「点数に数えませんよ。」というと,とたんに歯ブラシを20本ほど老婦人がもっていった。一人何点というなにかしらの秩序が必要なようだ。きれいに収納されている婦人服をあけるとたくさんの人。整理されていたり,仕分けがきちんとしている物は,物資の中でも目をひくようだ。




 渡波支所では,佐川急便がたくさんの物資を運んでいた。これからどう分担していくのか,行政で考えようとしているのだと思う。応対も大変丁寧だ。どこでも,公務員は心から仕事をしていると信じたい。公務員以外のボランティアと同じように・・。


 ただ行動を実行に起こすためには,きっと行政のリーダーの指示は必要なはず。先輩の話では,ここにはあまり避難者いないからというので,ホカロン2ケース(500個)置いてきた。




 渡波小学校では500人以上避難しているそうだ。家がつぶされているのだから,行きようがない。


物資配給の場所には多くの人がいたが,写真にうつらないようにしてシャッターを切らせてもらった。気がひけるが,現地にいった者の生の情報も必要だと思った。写真は,プライバシーの範囲で次回に載せたい。




 電気が通じていないので,口コミが伝達手段。「どこどこで物資の供給がある。配給が始まる。」近所の人の大きな声で気づくそうだ。地域が繋がっているところは伝え合えるが,地域の家がすべてなくなっているところでは,避難所が一つの地域の集まりとなっているのだろう。日頃から協力している地域なら,みんなで行動をあわせられるのかも知れない。


 ここは,どうなのだろうか。高校生に笑顔が見える。




 渡波中学校では,ボランティアの高校球児が20人ほどで,全滅した1階を掃除していた。     


 渡波中学校では,石巻市役所の方が,持っていった物資を丁寧に受け取ってくれた。


 家内が編んだ毛糸のマフラーとセーター。預かったランドセル。下着と靴下(これからは洗濯ができないので必要なんでは?と話していた。) 市役所の若い青年に,「これから何が必要になってくるでしょう?」と聞くと,「清潔用品や掃除用品が必要かもしれません。」と話してくれた。





 市役所方はそれぞれの避難所に行き,任せられた分担を心をこめて精一杯仕事をしていることだろう。市役所の機能が復活して,よりよりリーダーシップをとっていければ,少しずつ復興していくはず。 行政を批判しても前には絶対進まない。行政に携わっている人も,人の子だ。期待され,理解されて,さらに一人一人がさらによい仕事積み上げていくものだ。 しっかりしたビジョンで,地域民一人一人の把握をしながらこれから公務員としてがんばってもらいたいと思う。そして,全国のみなさんが被災地の行政を後押ししていけたらと思う。




 私は,以前火事になりほとんど物がなくなった,物資は整っていく。ありがたかったのは,その時私を気に掛けてくれた友人や地域の人や,職場の仲間だった。


当たり前ではあるが命はもどらない。肉親と引き裂かれていった人の悲しみは深い。先輩の実家は?と聞いた後は言葉を失った。多分「悲しみ,苦しみを聞いてあげることがこれから大切なんだと思う。」 




 つぶされた町を見て,たとえが貧困で申し訳ないが,始めて見た風景を写真の一コマのように感じてしまうそんな感じだった。


 現実を現実に受けとめられず,あっけにとられてしまう。その風景が現実的ではないように思ってしまう。それだけ,非日常の世界となっていた。そこに暮らしていた人たちは,その非現実的な光景の中で,暮らしている。


 それを,ていねいに受け止めるのには,自分の中に,確かな愛がないとできない。


 愛とは,隣人愛とは,自分の大切な人を思うと同じように,見ず知らずの困っているひとを思う気持ちだと思う。   分け隔てのない愛。そんな思いは多くの人の心の中にある。ぼくもその心を出さなきゃと思った。一歩前へ,本当の愛へ。どのひとの心のなかにあるはずの愛へ。