流産の話を聞く。


あぁ私はあの子に会えてよかったと思う。


子供が小さいうちに亡くなった話を聞く。


子供との時間、成長の記録、幸せな思い出。


あぁよかったと思う。


私はあの子との時間が少なかったから、それほど思い出に悩まされることはない。ありがたい。


当然大人になれるものと将来を信じていたのに突然我が子を奪われるのは耐えられない苦しみだろう。


あの子は一番いい死に方をしてくれた。


私に妊娠の幸せをくれて、つわりの辛さも胎動の喜びも教えてくれて、


産声を聞かせてくれて、かわいい顔を見せてくれて、母乳を飲んでくれて。


そして、私が障害者の母として生きる覚悟を固めた時、突然死んでしまった。
何の苦労もかけずに。


これから先、この子と生きていくには色んな葛藤があるだろうと思った。


誰に何と思われたっていい、
きっとこの子なりの幸せがあって、そうしたら私も幸せになれる。


でも辛い時もあるだろうなぁ
どうしても辛い時はどうしたらいいかなぁ


この子に障害がなかったら、どんな子だったかなぁ
他に、どんな未来があったかなぁ


なんて、母親なのにあの子を否定するような、そんなひどいことを考えてしまっているうちに。


何て優しい子だろう。


私は何ていい子を持ったんだろう。


そう思いながら、自分が泣いていることに気付く。




今子供が欲しくてたまらなくて、


でも出来なくて、


誰かが幸せな出産をしていることを喜べなくて、


どうして、ってどす黒い感情を持ってしまうのは


あの子を助けることも出来ず、


一緒に苦労してあげることも出来なかった罰なのかなぁとか、


本気で思う。


本気で思う。