「格差社会という不幸」 

 神保哲生・宮台真司 ほか


・格差が問題ではなく「貧困」が問題


・「貧乏」と「貧困」は違う。

 「貧困」とは「タメ」(クッション、バッファ)が収縮してしまっていて

 お金がないだけでなく、総合的な問題で、人間関係のタメも

 精神的なタメも小さい。

 貧乏でもコミュニティがあったりして、幸せに暮らしている人はいる。

 しかし「貧困」はそういうものをすべて失っているので

 「貧困だけど幸せ」は定義上ありえない。


・「ボンド」(絆・結合)と「ブリッジ」(橋渡し)

日本社会は、ある集団への所属やメンバーシップで

規定される「ボンド」という濃密な社会関係が強すぎて

人を集団外の誰かにつなげていく「ブリッジ」という

緩い社会関係が弱い。

だから「ボンド」のなかで居場所を失って弾き飛ばされれば

所属する場をなくしし、孤立無縁になってしまう。

(「孤独なボウリング」ロバート・パットナム 

 法政大学・樋口明彦教授)


・「マニュファクチャリング・コンセント」

エドワード・ハーマン&ノーム・チョムスキー

ドキュメンタリー映画にもなっている。

メディア報道=プロパガンダ・モデル 


・昔のアニメは「女王様や王女様を救うと世界は救われる」

いまの「セカイ系」は「自分が救われれば世界が変わる」

  ex)ゲド戦記、ブレイブ・ストーリー

みんな自分を救うことに収斂している。

日本のオタク文化最大の特徴は「ダメ」という自意識にある。

つまり「オタク」は「俺はダメなやつだ」と思ってるわけです。

モノゴトがうまくいかないとき、「自分がダメだから失敗した」と

自分に帰責しがち。

これが「自分がダメでなくなれば、すべてうまくいく」と反転するところに、

セカイ系サブカルチャーが成立する。


・世界の中に格差は常にあった。

それが、最近になって、格差が先進国にまで逆輸入された。

これまで発展途上の多重債務国のひどい貧困や格差、搾取を

そのまま放置、苦しんでいる人をそのままにしてきたけれど

とうとう、自分たち先進国の中にまで格差を取り込むにいたった。

日本だけの処方箋を考えても問題は解決しない。


・公共心のない人々が資本主義を営めば

大恐慌は避けられない。

社会保全に強い関心を持つ人々が資本主義を営んで

はじめて資本主義の永続可能性が生まれる。

社会保全に強い関心を持つ人々とは

ディーセントな(品位ある)資本家


・「小さな国家・大きな社会」

その中で社会の自立(たとえば地域主権)をどこまで国家が支援するのか。

「こどもの自立の、親による支援」と同じく

「それが自立の支援なのか、依存の放置なのか」

民主党が前者、自民党が後者という分岐はアリ。