せつない気持ち。

BRUTUS 11/1


今、世界は日本的「せつなさ」を求めているのでは。

-内田樹


村上春樹の小説が世界的なポピュラリティを獲得した

最大の理由は、彼の書くものは人の「せつない気持ち」を

起動するのと同じ仕組みを内包しているところにあります。


日本に現に「あるもの」を書いても

世界性を得ることはできません。

「あるもの」はその具体性ゆえに

自分が求めているものとは違う、と

否定されてしまうからです。

しかし、「ないもの」に言葉は届きません。

「これがない」という欠落感を人間は

うまく表現できない。

だから「何かが欠けている」という表現に出会ったとき、

人は「自分が”ない”と思っているものと同じかもしれない」

という欠落感

-せつなさの共有によって連帯できるのです。


「冬のソナタ」が爆発的にブレイクしたのも

どうしても相手の実態に届かない物語と

欠落感による連帯が

国境を越える力を得たからでしょう。

こうした物語が、韓国、台湾、日本という

東アジア、それも中国の周縁部分で共有されているのは

興味深い現象です。


大陸に広大な領土を占め、

中華思想を奉じる中国には

おそらくせつなさ、もの悲しさの文化は

ほとんど存在しないのではないでしょうか。

自分たちが存在するということに自身を持って

その場に根を下ろしている人たちは

おそらく、壮麗な伽藍、揺らぐことのない王城を築くことにこそ

意味を見出すからです。


しかし地球上で起こる震度6以上の地震の20%が集中し

台風の通り道となる、地政学的に非常に脆弱な

何を構築してもすべて崩壊していく風土を

運命付けられた日本列島に住む人にとって

持っているものを数え上げるより

失ったものを数え上げる文化を発展させていったのは

当然の帰結でした。