曾野綾子 著

その時々において
人間は気楽に楽しんで
上下関係を承認できるくらいの、[大人気]がありたい。間違った平等意識こそ紛争のもとだからである。完全な平等ということは、神の前以外、いかなる動物社会にもないことなのである。

表現を過不足なく理解するには、常識と成熟した心がいる。それが欠けているから、言葉尻をとらえての論争になってしまう。

色気の基本は、相手に関心がありますよ、という気持ちであり、それを態度で示すこと。

友情の基本は[あの人には自分にないすばらしいところがある]と思うことだと思う。

受けるくことより、与えることの方が人間には大きな幸福をもたらす。

すべて人生のことは[させられる]と思うからつらかったり、惨めになるので[してみよう]と思うと何でも道楽になる。

明るいということが、賛辞の一種だとなったのはいつからのことだろう。明るさは確かに救いの場合もあるが、鈍感さや、無思想の代わりに使われることもある

相手が[心配いらない]と言ったら、それは心配すべきことがある証拠だし、[問題ない]と言えば、それは問題がある証拠だと反射的に考える癖もつけられた。

電話をかけるべきだったのかどうか、いまでもわからない。しかし、相手に負担をあまりかけない限り、素直であるべきだろうという気がした。声が聞きたいと思ったら電話をかけ、休みたいと思ったら休み、泣きたいと思ったら泣き・・・・それが、人生に対する誠実というものかもしれない。

個性を認められる、ということには孤独と差別に満ちた闘いを覚悟するという反対給付がつく。

一人の人を傷つけるくらいの勇気がないと、一人の人の心も救えない。