ぜいたくな気分で美しい毎日を!・・・ヴェーネレ美容法
フランス文学「醜女の日記」は

みごとにその問に

答えてくれます。


原題はBeaute des Laides「醜さの美」。

見事な語義矛盾をなしています。
 

醜い―と思われているだろう―ことを

生涯心の負担とした

女性サビーヌの日記。


それを彼女から託された「私」が

後日談を加えて出版したのが、この小説。

 “こんなに醜い自分を

愛してくれる人などいるはずがない”

それはサビーヌの心に

暗く響く悪魔の声。


しかし彼女のすぐ傍に、

彼女を愛している男がいました。


「日記」を読んでいる我々には明白ですが、

“愛されるはずがない”という考えに

取り憑かれている彼女は、

彼ハンスに心惹かれながらも

彼の愛には夢にも気付きません。


ついには互いの気持ちを

打ち明けあって

婚約の運びになるも、


幸福も目前と思われたその時、

破局が訪れます。
 

その頃巷で流行していた美容整形。

それはサビーヌにとって、

もう一つの“悪魔の声”となってしまう。


「彼にふさわしい女になるために」

彼女が下した決断が

破滅を招く。


醜女でなくなった彼女の顔

―「なんという貧弱な顔!」と

後に「私」は言っているが、

その顔を見たハンスは叫ぶ。

 「君には、こんなことをする権利はない!」

彼:整形した君はもはや

自分の愛した女ではない

彼女:愛していたからこそ!

彼:君は知らない女だ

彼女:変わったのは顔だけ!

彼:「からだと魂は一体」だ

 「君の魂はもう、

僕の愛していた魂と

同じものではない」

...そして、訪れる別れと死。
鉄道事故で死んだ

彼女の顔は、めちゃめちゃに潰れて...

「プチ整形」流行りの昨今、

特に女性にとってはいつの世も、

“美醜”は重大問題。


大抵の女性は一つや二つ、

自分の身体容貌への

不満を抱えているものだろう。

それを個性ととるか欠陥ととるか。


実際、美ほど相対的な観念も珍しく、

ある人には美であるものが

ある人には醜であることも多いはず。

何を基準に美を判断しようというのか?
 

醜女サビーヌ。

しかし彼女を醜いと思ったのは

誰よりもまず

彼女だったのではないか?


自分の顔の“表情”

―ハンスが強く惹かれた表情―

を彼女は見ず、

ひたすら“顔形”を憎んだ。


そこにこそ、彼女の悲劇があったのです。




 
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