言霊  | 戯言騙り

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ひとり言おきば
※コメントは承認制となっております。ご了承ください。

とてつもなく久々に更新してみました。
みました、なんて一言でいえば気分屋以外の何物でもない今日というこの日ですが、ご容赦ください。
その程度の人間は思いつきでしか動かない。長期的に物事を続けていく勇気と責任と覚悟がないのです。


今更になって(なぜ今更気付いたのだろう?)西野公論が更新終了していたと知りました。
西野さんのブログの存在を知ったのも、敬愛する堂本剛さんの番組に出演されていたことに触れられているよ、なんて邪な理由なのですが。
個人的に、あのブログ好きだったのでちょっと残念な気持ちになっている所存です。
ブログを書くって、それなりの時間と脳味噌と思想を準備しないと書き続けられないよなぁ…なんて私は思っておりまして。
そんな中でも、ただ日常の出来事を縷々と綴るだけでなく、自分の思想を反映させて書き進めることにはなかなかの魂というか意識というか、毎日力が必要だよなぁなんて感じていて。

そういうことを日々続けてきたというのは凄いなぁ、なんて対岸を眺めていたのです。

終了、ということが書かれた記事の下には非難するようなコメントがそぞろに挙げられていて。
人間感じることは様々なんだなぁと感じた所存です。

感じることは様々な中で、そんな玉虫色の世界の中で、
私が凄いなぁと思えた「西野公論」に出会ったことは嬉しいことだったのかな、と。


あと水嶋ヒロさんが作家として賞をとったというお話。
能力(才能ではない)って集まるんだなぁ…と思いました。
努力する能力、創作する能力、形作る能力、そしてそれを一定の水準の作品へ辿り着かせる能力。
やり遂げられることも凄いと思うし、それがそういった水準で完成させられることはとても羨ましいと思った。
ううむ…能力という表現も適切ではないかもしれません。
こちらも対岸からあちらを覗いていたら目にとまった、という話なのですが。


私も言霊に魂を込められるようになりたい。
どこかに到達したいという煩悩と日々のありきたりな流れがそれを遮る。
遮られたとて、それがなんぼのもんじゃい!といった感じで抗える人が、そんなものは勇気と責任と覚悟で打ち倒せる人が、自分の言葉に魂を持たせることができるのだろう、と稚拙に綴った今日の記事でありました。
読み返すとどうして私がそれをできないのかが一目瞭然ですな。

ちゃんちゃん。