こんにちは、アリーシャです。
梅雨が始まってしまいましたね。私はじめじめした気候が苦手なので、ブルーな気分になっています。
でも今日は梅雨の晴れ間で太陽が少しでるというので、朝から大物を含め洗濯機を三回まわして干してから出掛けました。
夕方帰ってきて洗濯物を取り込むと乾いてはいるけれど、なんとなくジメっとしていました。やはり湿度が高いので、カラッとはいかないですね。タオルやシーツは乾燥機にかけて仕上げ乾燥しました。
このところ気持ちがどうしても沈むことがあります。
母の具合が悪いのも私のブルーな気持ちの理由の1つです。これから母の病状がどうなるか考えると不安な気持ちになります。
娘もあと2年すれば家を出ていくかもしれません。
子育てから解放されると同時に、とてつもない淋しさが私を襲うでしょう。
夫の会社の業績が悪化していて今年の夏のボーナスはほとんどないよ、と言われました。
私が多少働いても夫の稼ぎはにはほど遠く、全然補えないんですよね。
派遣会社の方と話をしていて、私がフルタイムでは長い間働いていないことを指摘されました。
教育ママしてたんですよ~、と笑って答えたのですが、子育てってキャリアとしては空白期間なのだということを強く感じました。
育休中のリスキリングの話を聞いたときも思ったのですが、子育てに専念している主婦って充電期間ぐらいにしか社会的には思われていないなと感じます。
育てにくいタイプの乳幼児を保育園に預けずほぼ一人で育てていたら、自分の寝る時間もろくに取れない時期が3年くらいありました。娘は多動かつ睡眠が細切れで、3歳前後は喘息もひどく夜咳で眠れないこともよくありました。
復帰した仕事も数ヵ月で辞めることになりましたし、育児がハードで身体を壊して娘が3歳の時にある病気にかかりました。娘が幼稚園に入るまで勉強の時間なんてとれませんでした。
これは私が身体的に弱く、知力体力ともに人並み以下だからなのだとずっとコンプレックスを感じてきました。仕事と子育てを両立している友人が眩しかったし、今も尊敬しています。
週7日お弁当作ったり、毎日習い事の送り迎えしたり、中学受験する子どもの勉強を5教科分勉強して教えたり、絵本を毎日読み聞かせしても、私の履歴書は真っ白なままなのです。子育ての経歴は誰にもどこにも客観的には評価されないのです。
フェミニズム界隈では家事や育児といった無報酬な仕事をシャドウワークと呼ぶそうです。まさに家事、育児は日の当たらない影の仕事です。介護もこれに含まれますよね。
子育てをどんなに頑張っても、実の親や兄弟、夫にさえ子どもに手をかけすぎだと批判されることさえあれ、誰も褒めてはくれません。
唯一褒めてくれたのはこのブログの読者の方々です。ありがとうございます。私もみなさんのブログを見て、みんな頑張っているんだなぁと励まされます。
子どもに手を掛けることは、私が好きでやってきたことですし、だれに強制されたわけでもない趣味のようなものなので仕方ないのでしょう。
子どもに手を掛けることができて私は幸せでした。
それは私ができなかったバレエを習うこと、中学受験すること、私立の学校に行くことなどを子どもに経験させることで自分が叶えられなかった人生を間近でみて擬似体験することができたからでしょうか。
子育てを通して私の視点も増え人生の幅が拡がったし、良いことも沢山ありましたが、子どもの人生は当たり前ですがあくまで子どものもので、私は単なるサポーターでしかないんだとつくづく感じます。
主婦は家族のサポートが仕事だと感じます。でも、最近ずっとそれだけでいいのだろうか?とも感じます。それで、満足する方もいると思うけれど、私は50歳にして自分が主役の人生を歩みたいと思い始めています。
50歳以降の人生に残された時間とエネルギーは限られています。家族を大切にしつつも、自分が主役の時間を持ちたいと思うのは当たり前の欲求なのか?それとも贅沢なのか?と自分に問うています。
山登りと同じで人生も登りよりも下りのほうが、負担が大きく難しいのだと感じます。今まで楽しい思いもしてしました。もう覚悟を決めて大変でも山を最後まで無事に降りきることに集中しなくてはいけないのでしょう。
でも、途中で寄り道をしたり、休んだりしてもいいよね。