●セゴビアのCD購入(1回目)

ギターの世界では伝説の演奏になっているセゴビアのシャコンヌを聴かずして、シャコンヌについて語れないと考え、シャコンヌが入っているCD(1954年、61才の録音)を購入しました。しかしながら、通勤途中で何回か聴きましたが私の想像していた学生時代に聴いたものとちょっと違う。これはこれでいい演奏なのですが、なんか違う・・、これが本当に伝説のシャコンヌなのか・・・、意外とたいしたことがないと思いました。インターネットで「セゴビア シャコンヌ」検索すると、「遊々道楽本舗」というHPでセゴビアのLPを写真付で掲載していました。その中に私が学生の頃に持っていたLPがありました(インターネットは役に立ちます、「遊々道楽本舗」さんありがとうございます)。私が持っていたLPは1944or1946年演奏の擬似ステレオ版でした。遙か前、レコードからCDに変わったときに、このLPは捨てましたが、その演奏はセゴビア50代の録音で、今回購入したCDよりさらに10年前のほんとうの壮年期の物です。それで、今回購入したCDに対するコメントは差し控えることにします。なお、たいしたことがないと思ったのは、私がヘンリク・シェエリングのヴァイオリンの演奏を聴き過ぎた貯めもあると思います。


●当時のクラシックギターの位置付け

おそらく20世紀前半のクラシック音楽の世界では、ギターそのものがクラシック外の楽器であり、セゴビアがギターでシャコンヌを弾くことが異端であり、孤立無援だったと思います(「セゴビア自伝-我が青春の日々」を読むと、そう思う)。その中での彼の戦う決意、心情を想像すると、私もできるだけ当時の演奏を理解するため、さらに1946年版を買って聴いてから評価するのが、偉大な開拓者だったセゴビアに対する敬意と考えました。ほんとうに、彼の貢献は偉大です。ギターのレパートリィの拡充、バッハのリュート曲の発見、また、後継者の育成等々・・・。彼がいなければ、現在のギター界はありません。ギターの現代奏法も彼が広めたと思います(あのタレルガは指頭奏法であったが、セゴビアが爪奏法をスタンダードにした。サインス・デ・ラ・マーサはどうだったか・・・、調べます)。特に日本のギター界も彼からスタートしたと言っても過言ではありません。古賀政男がセゴビアの来日演奏を聴かなかったら・・・、日本の演歌の世界も無かった(機会があれば、別のブログで書いてみようと思います)。


●録音技術の発達のはざまで

思うに録音技術の進歩はすばらしく、また残酷です。過去に不世出の演奏家がいても、いい録音が無ければ真実は伝わらない。セゴビアの全盛期は、SP録音の時代だったと思います。なお、シャコンヌ以外では、晩年の録音でもいい演奏はあると思います。「プラテーロと私」は、私にとってはセゴビアらしさが曲を引き立てていると思い、好きな演奏です。


●話をシャコンヌ二戻すと、シャコンヌの編曲、テンポについて

・・・・ということで、このシャコンヌ遍歴は、もうすこし続きます。別途、バイオリンのシャコンヌも、シェリング以外にも図書館のものから聴いてみようと思っています。なお、かれの編曲はやはり現代でもすばらしいものです。専門家ではないので明確に言えませんが・・、少なくともプゾーニのピアノ編曲より、はるかに音楽的と思います。

シャコンヌのテンポについて一言。この1954年のセゴビア演奏は13分51秒で、他の誰よりも速い(実は、1946年録音は12分台の演奏です)。ヴァイオリンのヘンリク・シェエリングが14分30秒です。ブリュームの演奏(最後の演奏)は15分47秒でちょっと遅めというより自由にやっている。山下和仁は14分41秒です。なお、ヴァイオリンで17分という演奏があるようです(聴いていませんが、HPで見ました)。セゴビアの演奏を聴いた印象では、前半は妥当な早さでです。とすると後半の転調した以降が速いため全体として総演奏時間が短くなったと思われます。セゴビアが「録音」ということを意識して演奏速度を考えたのか、ギターの効果(ギターの音は弾いたあとは減衰するのみ)を考えて、少し早くしたのか、今となっては判りません。録音技術が進歩すると、演奏速度も変わっていくのかもしれませんが・・・。


このはなし、続きます。