わんわん首記の本、11/21に銀座ヤマハで購入し、出張の行き帰りでだいぶ読んで、本日、喫茶店で続きを読んで、一応読了しました。この本は、スタンウエイ社の調律師のフランツ・モアの回想録で、「敬虔なキリスト教徒」という主軸のなかで、ホロビッツ、ルビンシュタイン、ギレリス、クライバーン、グールドの彼ならでは知り得ない断面を垣間見ることができます。

わんわんちょっと脱線。この本の基調にあるキリスト教とドイツ移民の著者ということが、ふと私の従妹(いとこ)のことを思い出させたので一言(親戚にこのブログを知らせていないので書いてもいいかと)。

私の従妹は、短大の頃米国人の先生に英語を習っていました。その先生から横須賀の米国人の将校(少尉か中尉)を紹介され、最初のデートの後、長期にわたってものすごいアタックを受けて(暴力的ではなく・・・毎日のラブレターといったものだったようです)、それから2~3年後に横須賀の基地の中の教会で結婚しました。なぜ2~3年もかかったかと言うと、いざ結婚となったとき、彼の両親から「結婚するには、キリスト教を理解し改宗すること(プロテスタントだったと思います)」という条件が出されたのです。私は、この条件は、極めて適切だった思います(その逆の選択もあり得ますが)。それで、彼女は、米国のカレッジに留学し2年間勉強した後、洗礼を受けてキリスト教に改宗し、結婚にゴールインしたのです(また思い出しましたが、結婚式のとき最後にガーターベルトかなんかを投げるやつも見ました)。結婚式で彼の父親に会ったとき、ドイツからの移民とのことで、なんというかその物静かな印象に強く惹かれた記憶があります。その印象は、私のイメージにある米国人とはかなり違いました。以前、仕事関係で米国南部に出張したとき、「ピストルを持っているか」と聞いたら、「当たり前だ(バカヤロー)、ライフルだって持ってるぞ」と、ばかでかいハンバーグを食べながら言ったやつとは大違いです。(またまた脱線しますが)そう言えば、「日本は山が無い国」と言った山登りが好きなドイツ人もいた・・。そいつは「4000m以上じゃないと山とは認めない」と言い張り、後で「しょうがないので休みの日に富士山に登ってきた」と、日本人からすると腹が立つようなことを言っていた。彼は、仕事より山登りが主のようで、ドイツで会ったときに「大学出てからずっとこの仕事をしているのか」と聞いたら、動揺して周りを見回しながら「そうだ」といったのが、彼の人生を見るようで印象的でした。

わんわん話を戻すと、従妹の夫の両親の「敬虔なまじめな東海岸の米国人」という印象が、この本の著者とイメージがダブりました(なお、従妹の結婚の経緯は祝福すべきことですが、引っかかるのが米国人の英語の先生です。このような罠にかかって国際結婚した日本女性がいっぱいいたのではないか・・・・、ウ~ン私にはマフイアの女ボスといった印象です。まあ、しっかりした人は紹介していると信じますが・・)。

わんわんこの本の著者であるフランツ・モアさんの人間性ですが、スタンウエイ社員であることの誇り、敬虔な(カトリック)キリスト教の信者である生活のためか、巨匠のエピソードに対する節度を感じました。この本は、ほんとうはホロビッツ等の巨匠の演奏や「伝説」を十分に知った上で読むのが適切と思います。私の場合は知識がないので、この本を読みながら、HP等で少しj調べて補う必要がありました。ただ、ホロビッツの音楽に対する姿勢、経歴、家庭等を調べる程、フランツ・モアさんのすばらしさが浮かびあがってくる様な気がしました。この本は、調律師の仕事がどんなものかも知ることができ(調律師とは技術者としての面もあり、人間の聴覚の限界も知っています)、その上でピアノの巨匠の個性の違い、彼らとの交流を垣間見ることができます。その結果、各巨匠の輝きはさらに増すことになります。また、彼の節度は、ライバル会社であるヤマハのピアノに対する記述にも伺えます。まあ、結果的にはスタンウエイ社が一番という前提なのですが・・。

わんわんなお、聖書をよく読んでいる方は、また違った読み方ができるのかも知れません。ただ、若いときの信仰のエピソードも人間的であり(宗教的ではなく)、そういうところも正直に出しているのは好感がもてました(これは、彼の口述をまとめた構成者がうまいといこともあると思います)。

わんわん巨匠ひとりひとりの感想を脱線しながら書くと大変なので、もうすこし演奏を聴いてからということで、感想は一応ここまでとします。わんわんこの本を紹介して頂いたkasatatu様ありがとうございました。次は、「音と言葉」を再読し、その後で、次の紹介頂いた本でも読んでみようと思っています。