わんわん一介のアマチュアギタリストが、なぜこんな本を読むのか。

セゴビアのCD(SP復刻音と言葉の表紙 版等)や自伝は、やはり原点として聞い

ておきたいまた、かなり独りよがりですが、勝手な評価をするぐらいはできます(と思う)。しかしながら、フルトヴェングラーがいくら巨匠だからといって、録音が旧い彼の復刻版を(いまのところ)聞いてみようとは思わない。もともと、主な交響曲等をすべて聞こうといった思いはない。

わんわんこの本に対する興味

ただ、この本が書かれた時から60年以上たっており、それでも残っている音楽(家)の本というのは非常に少なく(あの吉田秀和の文庫は、いい本でもほとんど廃刊になっている)、書いてある内容も凝縮され文章が美しいこと(と解説に書いてあった。私には、字が大きくなって読みやすくなったこと)、また、この本が20世紀前半のあのナチスドイツの時代に書かれたこと、ワーグナーとニーチェのことが書いてあることで興味がありました。私事で言えば、以前ドイツのエアランゲンに何回か行ったことがあり、その隣町がニュルンベルグ(ナチスとも関わりが深い町で、画のデユーラーハウスがあります。そうそう、この町は爆撃で廃墟となったのですが、復元されたオペラハウスでの演奏会に1回行きました。)、また、休みのときに1回、近くのバイロイト(単に、どこか行きたい所があるかと言われ、とっさに思いついた所)に行き、ワーグナーのお墓を見たことなど多少関連があり、個人的な(無理に繋げた)関連もあり興味がありました。

わんわんとりあえずの感想

まだ、全部よんでいません。本日、大阪へのお泊まり出張なのでその移動で読み終えたい。偉大な(と人が言っている)人の本を読んで、難しいところは読み飛ばしつつ(どのみちまともな理解はできないので)、爪の垢でも吸収できればと思っています。なお、ワーグナーとニーチェの関係(これは有名な話ですが)、音楽家の立場(ワグネリアンを批判しつつ、ワーグナー擁護。指揮者としては当然です)の記述は、というより「記述も」面白かった。フルトヴェングラーが言っているように、ニーチェにはワーグナーに自分の同質性を見て、自らそれと対峙するためにワーグナーと決別したというのは、当たっていると思います(また、彼から見れば「ニーチェは音楽を良く理解していなかった」という批判も正しいんだと思います)。私の乏しい理解では、ニーチェの厳しい決別の行き着くところが「神は死んだ」であり、あの超人(マンガの「キン肉マン」に出てくる超人とは違います)の強いニヒリズムの世界かな・・と、ニーチェの凄さも想像しました。本当は、これらすべてが私にはとても分らない世界なのですが・・。