フルトヴェングラーの「音と言葉」は読んだのですが、感想を書くには、力足らずなのを実感したのでもう少し寝かせたい(いままでなら、これで読了だったのが、ブログを書くようになって本を読んだら多少は頭を整理するようになった。これはいいことかも・・)。それで、どうでもいい話ですが、どんなブログのテーマがあるか考えてみました。


1)究極のフーガを求めて

 私はフーガがすきです。「音と言葉」では、バッハの「圧縮されたフーガと無辺奔放なプレリュードの融合は、このような方法において彼の物となる特殊な思念を示している」とか書いてありました(訳はドイツ語の直訳的で、堅いですが)。リュート組曲1番のプレリュードも、前半はまさしくプレリュードで後半はフーガ形式と思います。ただ、「究極のフーガ」はどこにもなく、八つが岳のような、私にとって心地よいものを捜してみたいと思っています。まとまるには年単位(又はさらの1オーダー上)になるかも。


2)内向きの音楽と外向きの音楽

 これは、楽曲のことではなく(そう言うのもあると思いますが)、演奏に対するアプローチ、姿勢といったものです。自分自身のためだけの世界(私のはフライパンのように底が浅いのですが、もっと底が見えないぐらい深くしたいというか・・、ちょっと怖いですが)の音楽というのが「内向き」と言う意味です。通常、音楽に対する姿勢には、どちらの意味もあると思いますが、そのウェイトを「内側に」強くしたような取組みについて考えてみたい。


3)重い演奏と軽い演奏

 私は、結果的にあまり演奏会には行かないのですが、ましてやアマチュアの演奏を聴く機会も少ないのですが、重い演奏というのがあるような気がします。「軽いけど芯がある」といった感じもあります。こういった、演奏に対する感じをまとめられたらと思っています。


4)ギターを反対にして弾いてみる

 ある程度ギターをやっていると、目をつぶっても結構弾けるようになります。楽譜も音符だけでなく数字等を見ると自然にその指が動きます。そこまでが大変ですが・・。でも私には、最近のギターのタブ譜が読めません。これで弾いている人は凄いなと感心します(昔の人はタブラチュアでやっていたので同じですが)。そういうこともあり、ふと思いついて、ギターを反対にして(裏表ではなく、右左を逆にして)弾いてみました。弦は張り替えないので、もちろん弦の上下の並びは通常の反対になります。やってみるとハ長調の音階はなんとか弾けました。和音になると結構難しい。3音の和音はできなかった。でも結構面白い。いっそのことこれを突き詰めてマスターし、人前で弾いたら受けるかも・・・。というバカな考えのあげく結論は、「やはりギターは難しい」といった内容です。


5)犬の音楽、猫の音楽

 私は「賢い犬」が好きです(尊敬します)。同じくらい「まぬけな犬」も好きです。でも「賢い猫」はきらいです。また、「まぬけでのろまなでバカな猫」は、見たことは無いですが大好きです。・・・といった内容です。

脱線しますが、私の小さい頃からの友人でいいやつなのですが、遙か昔、お見合いを15回程度やったやつがいます。やっといい方が見つかった(つまり・・断られなかった)とのことでしたが、お見合いの相手のお兄さんが東大だったので断ったとう話を聞いたことがあります(実は負け惜しみだったかも・・知れない)。でも、そんなわだかまりなら直ぐに解消するのに・・と言いきれるか。彼の人生の選択に、私はなにも言えませんでした。私の感覚にも、もしかしたらこのような屈折があるかもしれない(あの踊る大捜査線に、そういうポジションの警察キャリアがいましたよね・・)

話を戻すと、ここでは音楽とは関係のない動物と人間の話を書こうかと・・(そういえば、オーケストラ人間学といった本があったような・・、忘れてましたが)。


6)バッハのリュート組曲1番聞き比べ

 今リュート組曲1番全曲を練習しています。それが完成した頃に、このテーマで聞いたことがあるCDについて、場合によってはCD1つぐらいは新たに購入して、勝手な感想を書いてみたい。


その他、 「バッハリュート組曲1番~4番の性格分析」(組曲の番号はバッハが付けたものでないので、全体は全然統一されていない。つまりばらばらなので、それぞれの性格を考える意味があるのではないか・・)、「シャコンヌの後にくる曲とは」(パルティータ2番は、シャコンヌのあまりの完成度によってかすんでいます。つまりまとまりがない。ただ、終曲シャコンヌで終わりかというと物足りない。ゴールドベルク変奏曲の最後は、最初のアリアで終わるといった感覚について書いてみたい・・)、「E-A-D-G-B-E」(この意味分りますよね)、「練習における集中力」、そういったものを自分のために整理してみたい・・(できるかな・・)と思っています。