昨日の出張で、駅でこの本(諏訪内晶子「ヴァイオリンと翔る」)を買った。

昔から出ていたのは知っていたが、今は音楽関係の本にはまっているので、つい買ってしまった。すこしふとったおばさんのピアニスト(チャイコフスキーコンクールとかいった本を書いている方)よりは、若いのでこちらを選びました。少し読んでみると、「音と言葉」より遙かに読みやすい。それで、つたない頭で考えました。「音と言葉」が読みにくいのは、もしかしたは、私自身だけでなく、本の方にも理由があるのではないか。下記に思いつくことを挙げてみました。


1)自分に音楽関係の知識がない。

2)CD(SP時代の復刻版)をきいていない(ので思い入れがない)。

3)訳者が悪い(もしかしたら、この訳者は音楽をしらない)。

4)作者本人(つまりフルトヴェングラーさん)がカタブツで難しいことだけを考える。

5)言葉を凝縮して書いているので、それを読み解くことができる人のみ分るような本だから。

6)単に、昔の本だから。

7)ドイツ人が書いた本だから。

(つまり、ドイツ人の頭はそういう構造になっている)


私が思うに、5),7)and3)and1)といた相乗効果で、私にとってこの本が難しいのではないか・・、でも本当は4)+5)で、才能はあるがちょっと変な人が書いた本と思った方が、分かり易く、多少親しみがわく(ちなみに、私は変なひとは、きらいではありません)。そう思って、HPで彼のことを調べると、どこまで本当かは分りませんが本当に変なところがあったようです。ただ、そう言う意味では、ワーグナーもニーチェも、みんな変な人だったと言う気もします。

ちょっと、私の軸足であるクラシックギターの世界に目を移すと、伝説のギター二重奏のイダ・プレスティ(相手は、アレクサンダル・ラゴヤ)も、神懸かり的だったという伝説を聞いたことが、その一方のラゴヤさんはケチだ(ラゴヤさんに習ったプロの人が言っていたのだから本当だと思う)というのと合わせて思い出されます。

この「音と言葉」の話、(意地でも)もうすこし続けます。

なお、コメントして頂いたkasatatu様、「ギターの本(は高い)」と「いい音を求めて-遙か遠い道」について、すこし考えて書いてみます。