同じCDでも、スピーカやヘッドフォーンやイヤホーンで音がかなり異なり、ひいては演奏される音楽の印象が変わるのは、周知の事実です。一番悪いのがiPodの純正イヤホンです。これは高音と低音ともへたっていてせっかくの曲もつまらない曲に聞こえてしまうので、私は3000円ぐらいのSONYのイヤホーンで聴いています。また、私の家にはその他15000円(正価は25000以上だったと思う)のヘッドホンを持っていますが、高いヘッドホンはPCに繋いでも結構いい音を出すのが最近判りました。もっと高価なヘッドホンも有るのですが、とても手が出ません。

で、最近聴いたCDを挙げておきます。

●バッハ / ヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコードのためのソナタ集/NAXOS
バッハ ナクソク演奏は、ペルコラ(gamb)ハッキネン(cemb)です。この曲はこれはこれとしていい曲なのですが、下記のサント=コロンブのヴィオールの曲を聞き慣れると、(正直に言って)なんか練習曲(又は習作)のようでつまらなく感じた(私の偏った印象です)。もちろん、その後、だんだんとバッハの世界に引込まれましたが・・・。
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この第一印象の理由として、下記が考えられます。
もともと大した曲ではない。
演奏家の力量が無い。というか、曲を忠実に弾こうとしてかえってつまらなくしている。
ヴィオラ・ダ・ガンバの音そのものがつまらない。というか、チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバのバランスが悪い。

ただ、私の趣味のレベルで考えると、バッハのこれらの曲は言わずと知れたポリフォニーのトリオソナタであり各声部が(ほぼ)平等にからみながら作られるフーガ的構造物です。しかしながら、ヴィオールの良さは、その枠組みからはみ出したところに魅力があるのではないだろうか。バッハは、あくまで各声部の調和を求めたのだろうし、ガンバに対してはバスパートの楽器でしかなかったのだろう(それはそれで良いのですが)。そうなると、BWV583やBWV584(これは偽作ということですが)などはオリジナルのオルガンで聴いてみたいし、一方、BWV1027-1029は他の解釈の演奏、たとえばチェロとピアノといった組み合わせの演奏も聴いてみたくなる。

●サント=コロンブのヴィオール作品集/ヒレ=パール/ドイツ・ハルモニア・ムンディ50周年記念ボックスよりヴィオール
サント=コロンブ(1630年~1640年生-1690年~1700年没)は宮廷楽団員だったこともあったが、当時のフランス宮廷とはあまり縁のない市井の音楽家らしい。1701年に弟子だったマラン・マレ(1656年生-1728年没)がコロンブへのオマージュを書いている。演奏はヒレ・パールのヴィオールとテオルボ、バロック・ハープ。これはなかなか良い組み合わせで、どの楽器も突出せず良いバランスを保っている。
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オリジナルはチェンバロとヴィオールらしいが、チェンバロの鋭角に立ち上がる音が無いので、私にはこのCDの組み合わせの方が心地よいし、(たぶん)ヒレ・パールもそう考えたのではないだろうか。又は、この時代のチェンバロはいまのような輝かしいがその分自己主張が大きい響きを持っていなかったのかも知れない。
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曲目はどれも憂いを帯びていて美しいのですが、中でも2曲目のクプレは掛け合いがすばらしい。ヒレ・パールの演奏が正統的なのか、独自の解釈なのかは判らないのですが、その後の「クラシック」音楽の形式化に毒されていない生の音楽があるように思われる。前記のようにバッハを頂点とするドイツ・バロック音楽と異なるのは当然ですが、また、ラモーやマラン・マレやリュリ(これらも、ドイツ・ハルモニア・ムンディ50周年記念ボックスで聴いた印象)のようにフランス宮廷に深く入り込んだ作曲家とも異なり、より個人(言い換えれば人の心の深いところ)に近い音楽を感じる。ただ、場所と時を選ばないと、飽きることもあります。

・・・ということで。