まずは、仙台帰省の話です。

●仙台からの帰途
先週の月曜日、6時間ぐらいかけて郷里仙台から車で帰ってきました。
いつも自宅についてから思うのですが、「よくもあの一歩間違えば死と隣り合わせの高速の中で無事に生きて帰れたな」と思います。運転しているときには気がつかないのですが、家に着くと感じる疲労とともに、そう思う。いつもは100km/hrをすこし超えて運転しているのですが、それをバイクがあっさりと追い越していく。彼らは「風を感じる」とかいって快感を感じるのだろうか。帰る途中で、やはり事故があった。4台の玉突きです。事故現場を通り抜けるとき破損した車を見ると、「やはり車は危険だ」と思う。「人々は、利益とバーターで車の危険性を許容している」と言われる。よく車に対する社会の許容との対比で、原子力発電所なんかの巨大システムの安全が論じられている。しかしながら、人々は決して車を許容しているわけではない(のではないだろうかな~~)。法規制があっても、警察は工夫して事故低減に努力していると思うが、結局は人間の力量と判断にゆだねるシステム自体が不完全なものと思う。代替案はないのですが・・・。

で、読んでる本の話です。(かんじんの)生のオルガンの音は聞いていないのですが、なんとなくオルガンのことが判ってきた。以下、覚書を書いておきます。

●パイプオルガン-歴史とメカニズム/秋元道雄(その3)
●第3章オルガン演奏台の諸装置/Ⅰマニュアル(手鍵盤)とペダル(足鍵盤)
いろいろと書いてありますが、基本のとこだけ書いておきます。
ただ、オルガンの名称は英語、ドイツ語、フランス語の3つがあり、そのまま読んでいると違うオルガンの形式と思っていると、実は同じだったり、結構ややこしい。著者はこれを熟知しているのだろうが、素人的には読み難い。

●二段マニュアル
オルガンのもっとも普及された形。
ネーデルランド型、フランドール型、ベルギー型とかがあるようですが、これをくくって「北欧型」としている。第1章では、イタリアでは1段マニュアル、北欧で二段マニュアルが発展したと書いてあった。それがヨーロッパに広がり、大きな教会では、4段マニュアルや5段マニュアルといった凄いやつが設置されるようになった。私は昔から、オルガンはなんで「多段」なんだろうと不思議だったのですが、いろいろな形式のオルガンが合体したのが「多段」なんだというのが、この本を読んで判りました。また、それぞれが音色や音質や用途が異なるのが判った。そういえば、昔小学校にあった(リード)オルガンは1段だったが、ストップがあった。これが神秘的というか不思議でならなかった。
上段:スエルオルガン
下段:グレイトオルガン(大オルガン)
又は
上段:プルストヴェルク
下段:ポジティブオルガン
ここでスエルオルガンとは、パイプを入れたスゥエル箱を持ったオルガンのことで、ペダルでスウェル・シャッターをペダル等で開閉して、音の強弱を出すような構造のもの。プルストヴェルクは、プルストポジティブ(胸の高さのポジティブ)とも言うようです。これは大オルガンにある小型のリードパイプを分離したものらしい。何度も言いますが、これらがどんな音を出すのかは判りません。でも、軽井沢で聞いたポジティブオルガンは良かった。
●3段マニュアル
基本は、下記のようです。
上段:スエルオルガン
中段:グレイトオルガン
下段:ポジティブオルガン
このほか、4段マニュアル、5段マニュアルのことが書いてあるが、これは2段、3段のバリエーションのようです。なお、第3章には、様々なストップの名称と機能が説明されている。コレを書きだすと、長くなるので次の機会にします。

●第4章オルガン演奏技法入門/Ⅰオルガンのの歴史的性格と特色
合唱音楽との深いかかわり
著者は「もっとも人間の声に違い楽器がオルガンであり、合唱音楽の伴奏がオルガンの主な役割だった」と言っている。最も古いオルガン作品は、16世紀の「アーノルド・シェリック」の「マリア・ツアルト」で、三声のポリフォニーで現在も演奏されているらしい。このシュリックは、オルガンの譜面にまで、歌詞を書着込んでいる。「歌詞があって音楽がある」ということは、合唱音楽であれば当たり前だろう。
その他の鍵盤楽器との対比
17世紀初期のイタリアのディルータは「(オルガニストは)鍵盤は押すべきであって、たたいてはならない。撫でるべきであって、打ってはならない」と警告し、その一方「(チェンバリストは)楽器をたたくことは許す」と記している。また、この本の著者は「ピアノもオルガンとは異なり打楽器の性格を持っている」と書いている。私もピアノの演奏には打楽器的な感じを持っていて、そこが、いまいちピアノを好きになれない理由です。「鍵盤を押していれば無限に音を持続するのがオルガンの特徴で、ここからオルガンの演奏技法が生まれる」と書いてある。

その他覚書

○ヘルマン・ケラー「悪い演奏家は、1音毎に息を吸う歌手と同じだ」
○フレスコバルデイ「音楽の花々(1635年)」
「グレコリアンの定旋律は音を続けて奏されるべきだが、もっと楽に演奏するには切って演奏しても差し支えない」。
○アーノルド・ドルメッチ「17・18世紀んの演奏解釈」
ここでは、デルータのオルガン演奏5原則」が引用されている。
1.演奏家は鍵盤の中央に座る。
2.演奏者は体と頭を真っ直ぐ優雅に保ち、演奏中はこれらを動かしてはならない。
3.腕と手は水平に保ち、手首を正しい高さに保つ。
4.指は真っ直ぐでなくやや曲げて鍵に置く。手は楽にした状態を保つ。
5.鍵は軽く抑え打ってはならない。指を鍵から離すときは引くようにする。

これを読んで、フォルケルの「バッハ小伝」の「オルガニストとしてのバッハ」を読み返した。以前よりオルガンの知識が(多少)増えた分、このバッハの記述が面白く読める。また、ドルメッチは「下手なオルガニストは、鍵を打つ手を上げるが、こうすることで和声の半分を失っている」とも言っている。これは鋭い指摘と思う。一介のギター愛好家にも役に立つ言葉だ。

・・・ということで。
そろそろこの本を(江東区の)図書館に帰さないと。