前回のブログに引き続き、もうひとつ学校ネタ。

小学校の先生は、父兄との面談では、かなり気を使うらしい。
子供の注意を親に伝えるときの話。
「○○さんは、とても元気でみんなとも仲良くやっています」
「・・・・」
「ただ、ランドセルを決められた場所にちゃんと置くことと、授業中に(床に寝たりしないで)椅子にちゃんと座ることができるともっと良くなるんです」
「;;;;」


ここで、親はわが子の思いがけない話を聞いて緊張するらしい。
こういう話を身近な人から聞くのが私の楽しみなのです。

で首記の音楽の本ですが、今2回目を読んでいます。
良く理解していないので読み進めるうちに、読んだところが次々と頭から消えていく、それで、少し抜書きをしおておこうかと。

●音楽と言葉/T.G.ゲオルギアーデス/講談社学術文庫
音楽と言語本の構成は、1章の「序論」から15章の「歴史としての音楽」まである。そのうち1章と2章について抜書きをしておきます。

●その前に(気になること)
この本の著者は1907年のギリシア生まれ、1935年にミュンヘン大学で学位を受け、第二次大戦終了まではアテネで教鞭をとっていたが、大戦後、ドイツに戻った学者らしい。この本では、音楽と言葉はキリスト教文化の中で、ギリシア語→ラテン語→ドイツ語の流れで発展したと言っている(ようだ)。気になるのは、この論理がドイツ至上主義、え~と、ナチスドイツの芸術史観が入っていないかということ。ただ、ドイツでナチに加担した教授が追放され、その結果としてドイツで学んだこのギリシア人の教授が呼ばれたとも想像されるので、気にする必要は無いと思われる。
  ★
ついでですが、第二次大戦のときギリシアは枢軸国に占領され、そこでユダヤ人の86%は殺害された(らしい)。また、当時のローマ法王も、消極的ではあるがナチとの妥協を図っていた(らしい)。

第1章 序論
この本のアプローチについて説明している。
音楽とは2つの観点でとらえられる。
(a)孤立的な自立的美の現象(なり響く音形態として)として
(b)普遍的な精神性・人間性に根ざしたものとして

この第2の観点が「『音楽と言語』の関係を追求することになる。」そして「このような立場で西洋音楽への接近を試みる場合、「ミサ曲」がその手がかりになる。」と言っている。
こういうアプローチなので、異文化の世界にいる日本人の私には難しい。
  ★
現代は(この本では1950年頃)、音楽は、過去の数多くの音楽が勢力を回復し、「現代に作られた音楽」は、「現在ひしめき合っている音楽」の一部を占めているにすぎない。今日求められているのは、今われわれの中に生きている、又はわれわれの心の中に生きる権利のある全ての音楽を統一的にとらえようということ。われわれ自身の過去と現在に属する音楽、それがわれわれの音楽なのだから。・・・と著者は主張している。なんとなく判る(ような気がする)。やはりギリシア人の言うことは哲学的だな~~。

第2章 古代及びカロリング朝以前の時代
さすがはギリシア人の学者です。音楽の起源を「ムシケー」からはじめる。ただ、古代ギリシア語は、独特の構造を持っていて、「音楽と詩が一体になっている」ということらしい。そして、これは、音楽に固定された朗唱としてキリスト教の典礼に取り入れられた。これが「西洋音楽の誕生の瞬間」と言っている。ここらは、ニーチェの「悲劇の誕生」とも合い通じるものがある(たぶん)。
  ★
この章は、この後、グレコリオ聖歌の話になる(後で追記予定)。

●最近聞いたCD
DYLAN(ボブ・ディラン・ベスト)Bob Dylan
なんとなくCDショップで購入し、聞いています。実は、彼の若い初々しい頃のDVDをもっていて、たま~~に見ています。私は、年を取った頃より,若い頃の雰囲気でロックというよりフォークソングっぽいのが好きです。このベスト版のCDも、初心者向けでなかなか良い。詩が全部入っているが、詩も哲学的で良いと思う。ブログで見ると、かなりの崇拝者がいるようだ。英語版のサイトも結構充実している。こちらの世界は疎いのですが、たまに覗いてみようかと。

・・・ということで。