昨日(9/23)、近くのダイエーに行って驚いた。バナナが売切れでした。
身近な人の話では、仙台出身の森久美子が朝だけナババ(3本)で7キロ痩せたらしい。楽して痩せられるとしてみんなが飛びついたようだ。そういえば、同じ現象を思い出す。グレープフルーツ、パイナップル、納豆といろいろあった。今度はどうだろう。私は、以前から黒酢バナナというのをやっている(やらされている)。ダイエットには利かないが、体調は良い。

●中世ルネッサンスの音楽/皆川達夫/講談社現代新書
首記の本は昭和52年(1977年)出版です。私も、その頃購入し読みました。皆川達夫の本は、以前バロック音楽を読んで面白かったので、その続編であるこの本を購入しました。
  ★
どうでもいい話ですが、当時の私の音楽の知識は、毎週(隔週だったか)購入していたFMファンが主でしたが、一応(クラシック)ギターをやっていたので、岩波新書、講談社現代新書の音楽の本、結構出版されていた「ギターの歴史」といった本や、高橋功の「ギター音楽の招待」とか、石桁真礼生編の「楽式論」とか、音楽の友社の「楽典」なども読み始めています。これが細々と今も続いている。ただ、どこまで理解していたかは自信が無い。
  ★
そのころはバロック音楽ブームで、イタリアのイムジチ合奏団やフランスのパイヤール室内管弦楽団(結成は1959年)が有名だった。私もイムジチの四季(ヴァイオリンはグリュミオーだったか)とパイヤールのバッハの管弦楽組曲のLPを持って聞いていた。それ以外は、FMからカセットに録音したもので聞いていた。しかしながら、聞くのはバロック音楽が主で、ルネッサンスの音楽(パレストリーナなんか)は、とっつき難く敬遠していた。ただ、この本を読んで、バロック音楽の発展には、それ以前に約1000年という長~い熟成期間があったということ、そしてその後の西洋音楽の発展があったというのを理解でき、親しみを(すこし)感じた記憶がある。と同時に、キリスト教という異文化の歴史の壁も感じた。
  ★
当時の私のキリスト教に対する理解は遠藤周作の本でした。そして、カルチャーショックは、大学の後輩に二人のクリスチャンが入ってきたことでした。今だから言いますが、当時「神を信じる(又は信じている人)」というのを、自分の中で理解することができなかった。彼らを、異邦人のように見ていた。ちなみにお坊さんは「お葬式の人」と理解していた。なお、うちの大学は、クラブ在籍は2年だけなので、私は当時引退していました。この二人はしばらくしてクラブをやめましたが、その後結婚したと(うわさで)聞いた。今頃はどうしているだろうか・・・。

で、本当はこの本の覚え書きをかくつもりが、思い出話になってしまった。覚書は「その3」に書こうかと。

●聞いたCD
●パレストリーナ:ミサとモテトゥス/ドイツ・ハルモニア・ムンディパレストリーナ
「中世ルネッサンスの音楽」を読んでいるので、ドイツ・ハルモニア・ムンディのボックスセットから、このCDを聞きました。たた、こういう音楽は、深夜一人で聴くのがよいかもしれない。バッハがわが王と呼んだキリストとパレストリーナが求めたキリストは、同じか違うかと考えると、やはりもっとキリストのことを知りたくなる。といっても、私のはシャーマニズム的立場からですが・・・。
下記の曲が収められています。
1.ミサ 「あなたはペテロである」 (6声)
 1) Kyrie[3:38]
 2) Gloria[3:52]
 3) Credo[6:26]
 4) Sanctus und Benedictus[4:17]
 5) Agnus Dei[5:57]
2.モテトゥス 「あなたはペテロである」 (6声)[5:48]
3.モテトゥス 「アヴェ・マリア」 (4声)[3:12]
4.モテトゥス 「何と美しいこと」 (4声)[3:42]

この時代(ルネサンスの時期)、音楽はフランドル楽派が中心だったらしいが、「音楽と言葉/T.G.ゲオルギアーデス」では、イタリア人のパレストリーナ(1525年?-1594年)は、中世音楽史のなかでも特別に位置づけられている。バッハにつながる流れ(すなわち音楽の器楽化)の節目の作曲家と位置づけられている。聞いてみるとそんな感じもするが、まだまだ、器楽主流の世界には遠い感じもするが、その変化はもう近くに来ているというか、そんな感じもする。もう少し(一人で静かな夜に)聞いてみたい。

・・・ということで。