土日で身近な人(私の妻です)が、アルツハイマーの母親の面倒をみるためにが仙台に行ってきました。義理の母親はグループホームに行っているのですが、自分のことを旧姓で呼んでいるらしい。義理の母には子供が小さい頃にいろいろとお世話になったのですが、今度会う時には私のことをおぼえているだろうか・・・。

で、表題の本の話です。

●中世・ルネッサンスの音楽/皆川達夫/講談社現代新書
自分のためとはいえ、我ながら一つの本の覚書をよく続けているな~~と思います。ということは、私にとってこの本は「面白い」ということになります。
なお、この本を関連読んで関連するCDを聞いているのは、これらの音楽が(とても)好きだというのではなく、とにかくJ.S.バッハをその時代背景を含めて自分の力量の範囲でできるだけ理解したい、そのためバッハに至る音楽と中世ヨーロッパの流れを知りたいという、その一点を目的としています。そのためにキリスト教の歴史、当時の哲学、そして中世ヨーロッパの歴史なんかの本も読んできました。(なんせ、高校で世界史のときは寝ていたし、受験は日本史だったので)改めて本を読んだり新たにCDを聞いたりして、得るものが多々あったし(趣味としては)結構楽しいものです。これからもこの時代に焦点をあてて本を読んでみようかと。

で、第5章の覚書です。
このころになると、私の趣味のギター音楽と関連のあるリュート(スペインを除くヨーロッパで栄えた)やビウエラ(スペインやイタリアで栄えた)の音楽が音楽史にあらわれてくるので、親しみがある時代です。

第5章ルネッサンス音楽を作った作曲家たちあ
ヨーロッパの中世・ルネッサンス音楽の流れは、おおよそ西ローマ帝国・フランク王国カロリング朝(グレコリオ聖歌)→ノートるダム寺院(パリ、ノートルダム楽派、アルスアンティカ、アルスノヴァ)→イギリス→ブルゴーニュ大公国(ブルゴーニュ楽派)と移っていったようだ。そして、第5章はブルゴーニュ楽派のことが書いてある。
ブルゴーニュ楽派
右上の画は、そのブルゴーニュ楽派の中心人物デュファイ(左側)とジル・バンショワ(右側)が描かれている。また、当時のオルガン(ポジティブオルガン?)やハープもちゃんと書かれている。このブルゴーニュ楽派が栄えたのは、ブルゴーニュ大公国が、当時のイギリスとフランスは100年戦争の時代、比較的平和だったからのようだ。やはり、音楽は戦乱の時代には続かない。近代では2つの世界大戦前後で、いろいろな意味で音楽の断絶があったと私は思っている。第二次世界大戦直後に米国でLPが開発され、音楽の「高度大衆化(文化のブルジョワから一般大衆への流れ)」が加速したのも大きいと思う。その結果として私のようなものでも,現代音楽と共に(同時代の音楽として)バッハ等の音楽に接することができる。
おもな作曲家
だんだん疲れてきたので、この章に出てくるおもな作曲家のみ記しておきます。
ギヨーム・デュファイ(1400年頃 - 1474年)
皆川さんは、デュファイはバッハに比肩(ひけん)すると言っているが、その理由は詳しくは書かれていないので、この記述だけでは私には実感できない。ただ、ノートルダム楽派からバロック音楽に至る流れの間には、「音楽」に大きな変化があったと感じる。図書館等で彼の曲をすこし聞いてみよう。なお、ラックスやパレストリーナになると、西洋音楽もだいぶ変わってきて、まさにバロック音楽に近づいたのが分かる。でも、デュファイがバッハに比肩するというのは、よほど聞きこまないと(私には)分からないような・・・。
ジル・バンショワ(1400年頃 - 1460年)
ヨハネス・オケゲム (1410年頃 - 1497年)
ジョスカン・デ・プレ(1450/55年 - 1521年)
ローラン・ド・ラックス(1532年-1593年)
なお、オケゲム以降はこの本の題6章でも書かれていてフランドル楽派と称されるようだ。ブルゴーニュ楽派は3声、フランドル楽派になると4声のポリフォニーと発展していくらしい。ここらは次回回しということで。なお、このような音楽は、私はオケゲムとラックスの曲をそれぞれ1枚持っている程度ですが、この本を読み返して結構参考になった。いまでも同類の本は出ていないので、再販すれば売れるのではないだろうか。

●図書館で借りたCD
かりょく●「花緑のピアノばなし~じゃじゃ馬ならし」
花緑の朗読は、以前、藤沢周平の作品の朗読で「(若いのに)うまい」と思ったことがある。それで、江東区亀戸図書館で見つけたこのCDを借りました。このCDでは、朗読のバックにかれ自身のピアノが入っている。そこそこうまい(プロとして見ると大したことはないが、アマチュアとしてはすごい)。なお、音楽と朗読がかみ合わないと思ったところがすこしある(ような)。

・・・ということで