そろそろ、小学校の先生をやっている私の身近な人の通信簿の時期になりました。これは、私にとってすこし楽しい時期でもある。というのは自由時間が多くなるので(その分、掃除や夕食を作ったり仕事が増えて大変なことも出てきますが)、図書館に行ったり、喫茶店で本を読んだり、本屋さんやCDショップに行ったり、そしてギターの練習とかもう一つの趣味とかいったことができるのです。

以下本題です。

●ブラームス間奏曲集/G.グールドグールド
私のブログにコメントをいただいたnicoletさんが紹介されていたグールドの平均律を買おうと思い、昨日帰宅途中に秋葉原のタワーレコードに立ち寄った。そこでいろいろ悩んだ末、購入したのが(まえから購入したいと思っていた)首記CDです(すみません)。聞いてみて、たしかにそこにはグールドがいました(あたりまえですが)。私が勝手に思うに、バッハのようなポリフォニーの曲の弾き方とその後の近代の作曲家の曲の弾き方は全く異なる(はず)。しかしながら、(もしかしたら)グールドはどの曲もバッハ的に、え~~と、つまり、たぶん、音のつながりを特に意識して弾きたかった(のではないだろうか)。なんというか、バッハはよりバッハ的に、そしてバッハ以外も(できるだけ)バッハ的に弾きたかったのではないだろうか。それが、彼にとってとても心地よいのだろう。私も、同じく心地よい。こうなると、グールドの本も読んでおきたくなる。そして、しばらくこのCDをiPodにいれて聞いてみようかと。
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なお、グールドはショパンを弾かなかった(らしい)。それも、私にはなんとなくわかるような気がする。ショパンはバッハ的に弾くことができないだろうし、ショパンの意図(または感情)に自分の感情を合わせ(られる)のを嫌ったのではないだろうか。
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このCDのライナーノートには、ベートーベンの作品に対する吉田秀和のコメント「この自由な青年だけが示している深い智慧と瑞々しい自発性との不思議な結びつきのあかしとしてのみ生まれてくる」を引用している。言っていることはなんとなく分かるのですが、「深い智慧と瑞々しい自発性との不思議な結びつき」が何を言っているのか(ほんとうは)全然わからまい。「表現(技術)」は一般人の及ばない天才の領域であり吉田さんの言うとおりであっても、特にバッハ愛好家にとってグールドが弾くブラームスは、自然で違和感のない親しみやすい演奏ではないか(と思う)。なお、(自分を棚に上げれば)このライナーノートの評論家が、高名な評論家の言葉を引用して評論とするのは「手抜き」です。

●シュッツ:イタリアン・マドリガーレ集(1611年)/コンソート・オヴ・ミュージックシュッツ
この曲は、シュッツ (1585年-1672年)が1609年から1613年の間、イタリア(ヴェネチア)でガブリエールのところで修行した時のイタリア語の作品。なかなか楽しい。このCDのライナーノート(解説は磯山雅さん)から、シュッツの経歴の概要を追記しようと思っていたのですが、またまた車の中に忘れてしまった。つい気は、明日(11/30)夕方になります・・・。







●シュッツ:クリスマスオラトリオ/VIVARTE
クリスマスこのCDを今日(11/29)江東区亀戸図書館で借りました。これも車に忘れたので、明日、概要を追記しますが、この曲を聞いて、前記のマドリガーレ集よりやや内省的で親しみやすい曲と思いました。











クリスマスついでに、一言。左記は台所とリビング間の壁の写真です。私の家もすこしクリスマス風にしました。というか、写真のようにクリスマス以降も2月ごろまではそのまま使おうという「せこい」考えで取り揃えています。ほんのわずかクリスマスの雰囲気が出てきた。なお、背景(スキンというらしい)も冬バージョンに変えました。

・・・ということで。