ある音楽愛好家のブログで、「全曲録音で無伴奏ヴァイオリンの名盤は多々あるが、無伴奏チェロの名盤は無い」と書いてあった。これは本当なんだろうか。私はこれを論じられるほど同じ曲のCDを聴いていないのでこの話には入れないが、「名盤とは何か」ということで考えさせられた。

偏狭な嗜好をもつ私が、正月のぼけた頭でつらつらと考えた。
○プロの方は、日々大変な努力をしている(と思う)。
○しかしながら、一般の愛好家は(残酷にも)単なる職業音楽家以上の物を求める。
○さらに有名になると、例えば、フルトヴェングラーのように全人格的に批判の対象になる。

音楽愛好家の立場で考えると、
○限りある予算で音楽を楽しむのだから、どうせなら良い演奏を聴きたい。
○だから、どんな演奏に対しても敬意を表するという訳にはいかない。
(その努力に対し理解することは必要かと)
○でも、意味不明の名盤だけを求めているのではない。
○ただ、どのような人がどんな演奏をするかを見ている。
○そして、一つでも心に残るフレーズがあれば満足できる。

中途半端ながら結論は、
○劣悪な音響装置で聴くと誤った判断をしてしまう可能性が高いので、許される範囲で良い音を聞いていこう。
○そして、可能な範囲で生の演奏を聴いていこう。
○さらに、音楽の背景(作曲家と演奏家の)を理解する努力はしていこう。

・・・ということかと。
この演奏家と一般音楽愛好家の中間にいるのが(音楽)評論家という特殊な人々です。この批評が正統なのかどうかですが、記録に残るのでバッハのような過去の人の研究には(必ず)引用されてしまう。また、私のような一般の愛好家も(かなり)影響を受けてしまう。だから、批評家に対しては、演奏家以上に厳しい批評が必要かと思う。
で、首記の本です。

●バッハ伝承の謎を追う/小林義武/春秋社西部戦線異状なし-ラウテンヴェルク
右の写真は、この本とは関係有りません。山田貢さんが復元したラウテンヴェルクの写真です。実は、肝心の弦を張っているところの写真を取り忘れました。そこが、私の"まぬけ"なところです。
第Ⅲ章 「バッハ復活の背景-ロマン派のゴシック的バッハ像をめぐって
この本のメインはこの章だと思う。バッハ復権の歴史的背景が伺える。ただ、その先に「第3帝国」があると思うと、すこし複雑です。
この章は、下記3つ節で構成されている。
●(1)ロマン派以前のゴシック受容
●(2)ロマン派のバッハ受容
●(3)「マタイ」蘇演の放った光

今回だけではこの章は終わりそうもないので、第1節だけでも(自分のために)メモしておこう。

●(1)ロマン派以前のゴシック受容
シャベイの痛烈な批判
○バッハが生きていた時代、ハンブルクでヨハン・アドルフ・シャベイという人が、1737年から「批判的音楽家」という(なんと)週刊誌を発行していた。
○シャベイは、啓蒙主義的立場から、ゴシック様式を引き合いに出してバッハを厳しく批判していたらしい。シャベイは、ゴシックを「人工的な」「野蛮な」「悪趣味な」「不自然な」という意味で考えていた。
○なお、「シャベイはバッハに個人的な恨みを持っていた」というのを、何処かの本で読んだような気がする(うろ覚えなので再調査です。鵜呑みにしないように。)。
否定的ゴシック評価の流れ
○バッハの時代、ゴシックという言葉は蔑称だった。
○「ゴシック」とは、「ゴート人の」という意味で、中世の美術を粗野で野蛮なものとみなし、これを「ドイツ風の」とか「ゴート風の」と呼んだことに由来する蔑称だった。
○イタリア人は、ローマの町はゴート人によって破壊されたと考えていた。だからギリシア・ローマに帰るというルネッサンス運動が起きたとき、それ以前の中世の様式を「ゴシック」という言葉で否定した(らしい)。
○そして、ゴート族の末裔であるドイツ人の間にも「ゴシック」という言葉が否定的な意味で浸透した。
○なお、「ゴート族」とは、ゲルマン系のドイツ平原の古民族で、4~5世紀の「ゲルマン民族の大移動」で西ローマ帝国を滅亡に導いた。起源はスカンジナビアという説がある。
ゲーテによる劇的な転換西部戦線異状なし-ケルン大聖堂
○ゴシック芸術に対する否定的な評価が、ドイツの啓蒙主義者ゲーテによって一変する。
○ゲーテは1772年に「ドイツの建築芸術について」という(専門的な視点ではなく、感覚的な)熱狂的な本を出版した。
○ゲーテは、この本でゴシック建築に対し「暗い、不気味、身の毛がよだつ怪奇」という評価から、「威厳のある、崇高な」という観点で評価を一変させた。
○なお、「ゴシック建築」の起源はフランス。1150年~1500年に作られた、尖ったアーチ(尖頭アーチ)や飛び控え壁(フライング・バットレス)を特徴とする建築様式。
○ゲーテは、ゴシック建築を「相互に関連し合う細部が集って調和する巨大な固まり」と評価した。小林さんは、これを、フーガによる世界(ハルモニア)との類似性を論じている。
○そして、ゲーテが意図したかどうかにかかわらず、彼がゴシックの建築や音楽をドイツの芸術として見なすことにより、ドイツ国民主義の礎(え~と、あの第3帝国を導く)を築いた。
ゴシック復興運動へ
○ゲーテがゴシック芸術を評価したのは、その合理的啓蒙主義の立場から、神秘的要素が無いと考えため。
○一方、19世紀のロマン派は、ドイツの分裂した状況から統一したドイツを渇望し、過去への憧憬から神秘的面を評価した。このような風潮から、多くの新ゴシックの建造物が造られた。また、数世紀に渡って中断していたケルン大聖堂(左記)も建築が再開された。

・・・ということで。