まず。前書きです。
法哲学入門/長尾龍一/講談社学術文庫を読みました西部戦線異状なし-法哲学入門
長尾さんは1938年生まれ、東大教養学部→日大教授だった人(らしい)。この本を買って読んだのは、半分は私の趣味で、残り半分は仕事関連かもしれない。「コンプライアンス(法令遵守)」という言葉がある。これが私が関連する業界を規制する省令に記載されたのだ。「憲法で規定するならともかく、なんで省令に記載しないといけないのか」と思ったため。
自らを振り返ると、
・そういえば昔、大学の新入生歓迎コンパでは酒を飲んだ。
(実は高校の卒業コンパでもすこし飲んだ)
・運転免許証は一度もゴールドカードになったことはない。
・会社でソフトウエアの違法コピーは・・・(昔はしていた)。
・高速道路で制限速度を守り通したことは一度もない。
・大学時代、心理学テストで「あなたは正直ですか」との問いに「yes」と書いたら、
「あなたは不正直だ」との判定が出たことがある。
(これはコンプライアンスとは関係ないか・・・)
・ただ、万引きはしたことはない。いままで考えたこともない。
(当たり前か。というか幸いにもそういう環境にはなかっただけなのか。)

等々思い出す。自分のことは棚に上げ「なんで法律は守らんといけないのか」ということを改めて考えて見たいと思った。と言っても自腹で(会社のために)高い本は買う気がしない。文庫本ならということでこの本を買いました。結論は「この本にその答えは書いていない」ということです。でも、この先生けっこういい加減だな~と感じつつ、第1章や、ところどころは無知な私には面白かった。ただ、この方笑いのセンスは低いな~~(人のことは言えませんが)。

で、手記の本です。

●バッハ伝承の謎を追う/小林義武/春秋社西部戦線異状なし-バッハ
●第Ⅲ章 「バッハ復活の背景
-ロマン派のゴシック的バッハ像をめぐって

この章は、下記3つの節で構成されている。
●(1)ロマン派以前のゴシック受容
●(2)ロマン派のバッハ受容
●(3)「マタイ」蘇演の放った光
覚書を自分のために書いていますが、遅々として進みません。今回はこの章の第2節です。なお、この本は、押さえるところはきちんと書いているので、バッハの生涯と作品を(ある程度)知った上で読むと面白い。
●(2)ロマン派のバッハ受容
●ライヒャルトのバッハ評
○ライヒャルト(1752年-1814年)はベルリンで活躍した作曲家、評論家で「音楽芸術誌」という本を出した。そこではゴシック芸術を再評価しつつ、バッハの音楽との共通性を指摘した。
○バッハの生きている時代のハンブルクで「批判的音楽家」という週刊誌を出していて、バッハの音楽をゴシックを関連付けて批判したシャベイと対比して、バッハとゴシックを関連付けるのは同じだが、その評価が正反対な立場にある。
○バッハの時代、なぜバロック芸術が否定されていたのか・・・。実は私も「あんな権威主義的な建物(教会)は、いらないかも」と感じている。(おそらく)カトリックの権威の象徴として作られたゴシック様式が、(ほぼ)プロテスタントとなったドイツで、アイデンティティの象徴にすり替えられたのではないだろうか。
○なお、小林さんは、バッハ擁護の観点でゴシック芸術擁護の立場のようだ。
○私は、あのカール・リヒターのゴシック的なバッハ演奏は、バッハにとって「ありがた迷惑」なのかもしれない(と思う)。でも、その演奏も私は好きです。
●バッハによる古様式
○この章では、バッハは、パレストリーナが確立した様式(古楽様式)や当時すたれてしまった「定量記載法」にも精通していた(中身は省略)。
○ライヒャルトが感覚的にゴシックとバッハを結びつけたのに対して、小林さんは、前期の様式の例としてフーガホ短調(BWV878)やろロ短調ミサ曲(BWV232)を例示し、実際に中世の様式が作品に反映されていることを、楽曲的にも裏付けられると言っている。
○バッハは、パレストリーナの作品の分析等を勤勉に行って、その様式を作品に取り入れた。それがバッハが中世音楽の集大成といわれるゆえんであり、且つ当時の人々から「古臭い」と言われ理由なんだろう。そして、それ故にドイツの国民運動の流れとともに再評価されることになる(といったステレオタイプの解釈ができる)。
●ウエーバのバッハ評
○カール・マリア・フォン・ヴェーバー(1786年-1826年)は、ロマン派初期の作曲家で「魔弾の射手」というオペラを作った人。音楽史上は重要な人なのだろうが、私は中学校で習った以来、一度も意識して彼の音楽を聞いたことはない。彼は、ロマン派の立場でバッハを評価した。
○ロマン派とは、観念論的芸術とか美学に従うもので、「音楽は単なる技術の所産ではなく、ある理念を持つ作品でなければならない」という立場に立つもの。
○ウエーバーは次のように言っている。
「バッハの様式は雄大であり、崇高にして壮麗である。バッハはその様式の効果を声部進行の驚嘆すべき連鎖と、そこから紡ぎ継がれる不思議なリズムによって、もっとも手の込んだ対位法の絡み合いの中に実現した。バッハの崇高な精神は芸術協会の真のゴシック大聖堂を築き上げた。」
○ウエーバーの言葉はロマン主義的誇張とも感じるが、その言っているところもわかるような気がする。とにかく、われわれはドイツ人ではないので、あたまを冷やして彼(バッハ)の音楽を聴くことにしたい。
○小林さんは、さらにロマン派の文学者ホフマンの下記の言葉を引用している。
「バッハの音楽は昔のイタリア人の音楽に対して、ちょうどシュトラースブルクの大聖堂がローマのサン・ピエトロ大聖堂に対するのと同じような関係にある」
○小林さんは「この言葉は目に浮かぶようだ」と理解を示しているが、私は「そうかな~~」といところ。

・・・ということで。