こんな話を聞いた。

最近、子供のいたずらのスケールが大きくなった。
小学1年のこどもが数人、立て看板、自転車数台を川に流し、公園のトイレに砂をいれて詰まらせたらしい。警察が聞き込みで調べていて、小学高学年と思っていたら実は1年生だった(え~、実は私の身近な人の勤める小学校の子供らしい)。被害総額4~50万円とのこと。

子供たちは、これらのいたずらを(というかすこし犯罪に近いが)、なんでやるのだろうか。
わたしも、小学1年のころ、近所の大きな犬を飼っている家に、友達といっしょに花火を投げ入れて逃げたことがある(この花火は2B弾といって、その後、大変危険なので発売禁止になった)。そんなことをするのは、単に自分より強そうな犬に対する気持ちだけだったろうか、今から思うとその金持ちの家に羨望の裏返しで「潜在的」反感があったのかもしれない。その犬には大変申し訳ないことをしたと思っています。記憶にないが、そんな悪ガキの首謀者は誰だったのだろうか・・・(あまり考えたくはない)。

それで、その子供たちに興味を持った。
できることなら、警察や親から叱られてもまっすぐに育ってほしい(無理かもしれないが)。

●バッハの生きた時代にバッハ批判をしたシャイベについて
当時のJ.S.バッハの評価となると、かならずこのシャイベさん(ヨハン・ アドルフ・シャイベ/1708年-1776年)が出てくる。彼は、バッハを痛烈に批判したことで歴史に残る批評家となった。このvさんに興味を持ったので(自分のために)整理しておこうかと。
●調べた本西部戦線異状なし-バッハ
ここ2年、バッハの本を購入したり図書館で借りたりしながら読んでいます。シャイベのことが書いてある本は下記です。これを整理してみようかと。
J.S.バッハ-時代を超えたカントール/川端純四郎/日本キリスト教団出版局
バッハ伝承の謎を追う/小林義武/春秋社
創造性と教育-バッハのクラヴィーア音楽/磯山雅/バッハ全集12巻/小学館
バッハ-生涯と作品/ヴェルナール・フェーリスク/講談社学術文庫

この4つの本を読むと、なんとなくシャイベとバッハと当時の状況がわかってくる。小林さんの本も、要点をうまくまとめているが、やはり複数の本を読まないと、その全容はわからない。
詳しくは、次のブログに。

西部戦線異状なし-ガーディナー●図書館で借りたCD
●J.S.バッハ:カンタータ集II顕現日後第3主日カンタータ
今はキリスト教の教会歴では「顕現節」にあたる。なお、顕現節の起点顕現日(1/6)は「キリストの異邦人への顕現の日」ということらしい。
それで、先週河童橋の台東区中央図書館に、借りっぱなしのCDを返しに行ったときに、このCDを借りました。ガーディナーの教会カンタータは、このCDが初めてですが、なんとなく聴きやすい。なお、私はキリスト教徒ではないのですが、単なる音楽としてではなくシャーマニズム的多神教的宗教観で、J.S.バッハの音楽を聞いています(なんとなくそう思っている)。そういう意味では、彼のカンタータの歌詞の中で相いれないとこもあるかもしれないのですが、それはそれとして・・・。
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収録曲は下記のとおりで、顕現節第3日曜の曲を集めている。いずれもライプツイッヒのトーマス・カントールの時代の作品。なお、初演の日をメモとして記載しておこう。バッハの時代はユリウス暦(ローマカトリックは既に切り替えていた)なので、現在のグレコリオ暦とは異なる。なお、日本では1872年(明治5年)にグレコリオ歴を採用したらしい。とにかく、日本は(節操がないというか)切り替えが早い。

1. カンタータ第72番「すべてはただ神の御心のまま」BWV72
初演は1724年1月23日。第1曲合唱、第2曲レチタティーヴォ、第3曲アリア、第4曲レチタティーヴォ、第5曲アリア、第6曲コラール
2. カンタータ第73番「主よ,御心のままに」BWV73
初演は1726年1月27日。第1曲合唱、第2曲アリア、第3曲レチタティーヴォ、第4曲アリア、第5曲コラール
3. カンタータ第111番「神の御旨がつねに成就しますように」BWV111
初演は1725年1月25日。
4. カンタータ第156番「私の片足は棺桶に入っている」BWV156
初演は1729年1月23?日。第1曲シンフォニア、第2曲レチタティーヴォ、第3曲アリア、第4曲レチタティーヴォ、第5曲アリア、第6曲コラール
最初のシンフォニアが美しい。シンフォニアはBWV1056の第2楽章と同じですが、こちらのほうが年代は早い。ということはこちらがオリジナルなのだろうか。なお、「私の片足は棺桶に入っている」という言葉が気かかった。解説によると、初演の前年(1728年)に、第3子が3歳半で亡くなり、その3週間後に生まれたばかりの第4子が無くなったらしい。この第4子は教会で洗礼を受けなかった(キリスト教ではこれは大変なことで、天国に行けないことになる)。この曲は、バッハは、新妻とともにライプツイッヒに赴任した意気込みが、職業上の対立と家族の悲しみにより翳ってしまった時期のもので、それでバッハはマタイ福音書からこの言葉を選んだ(らしい)。この曲は、このような現実に対し、生にあっても死に瀕しても神のみに願いをよせる信徒の心が現れている。
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たしかに、同じ顕現節第3主日の曲であっても、BWV72、BWV73の素朴な明るさとはちょっと違うような気がする。

・・・ということで。