日曜日は、良くFM東京の番組を聞きます。
意識しては聞かないが、松任谷由美とか山下達郎とか福山雅治とかの番組を車移動のときに楽しく聞いています。
ただ、一つだけ嫌いな番組がある。
5時からの「あ、安部礼司 ~ beyond the average ~」という番組です。
スポンサーは日産。当然ながらこの番組のターゲットは「車を買う人」。
主人公は、
○サラリーマンでありながら会社の悪口を言わない。
○ましてや国の批判なんかは全くしない。
○弱音を言うわりには、会社のためにがんばってしまう。
というやつ(理想のサラリーマン)です。
主人公は嫌いだが、視点を変えて番組製作側を見ると、
「うまく作っているなー」と感心してしまう。
ただ、こういう番組をみると、そのテンションの高さに少し虚しさを感じる。
単に現代版「水戸黄門」と思えば良いだけの話なのかもしれないが・・・。
ちなみに、私の車は5年前に購入した「日産」で今年車検です。
こっちのほうは、私はブレーキの構造が嫌いです(わかる人にはわかると思います)。
●最近聞いたバッハの曲
●J.S.バッハ:ミサ・ブレヴィスBWV233-236
指揮はBWV233,BWV234がクルト・レーデル でドイツ・バッハ・ゾリステン。BWV235,BWV236がヘルムート・ヴィンシャーマンでミュンヘン・プロアルテ管弦楽団。
★
これは、最近(相互の)お気に入りにしているsaitobaruさんのブログで紹介されていて聞きました。そういえば、他の方のブログでも紹介されていました。確かに、どの曲も聞いていて、聞きやすく楽しい。その中でもBWV235が印象的で美しい。
★
で自分のために、覚え書きを書いておきます。
(バッハ全集第7巻の解説より)
●どの曲もキリエ(1曲)とグローリア(5曲)の2部6曲で構成されている。本来ミサ曲は、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・ディで構成される。
●すべて1730年代後半の作品で、以前の曲からの転用(めんどうなので記載は省略)。ただ、転用したのだから、手を抜いたというより、お気に入りだったのではないか。そう考えると転用された曲を聴きたくなる(一部は聞いている)。
●ミサ曲は、カトリック教会の聖体拝領を伴う典礼の声楽曲をいう。ただ、宗教改革後のプロテスタントの教会、特にルター派教会では、さまざまな形でカトリックの典礼の形式が使われていた。
●バッハの小ミサ曲が、キリエとグローリアしかないからといって、当時のルター派教会でこれしか行わなかったわけではない。
・・・ということで。
意識しては聞かないが、松任谷由美とか山下達郎とか福山雅治とかの番組を車移動のときに楽しく聞いています。
ただ、一つだけ嫌いな番組がある。
5時からの「あ、安部礼司 ~ beyond the average ~」という番組です。
スポンサーは日産。当然ながらこの番組のターゲットは「車を買う人」。
主人公は、
○サラリーマンでありながら会社の悪口を言わない。
○ましてや国の批判なんかは全くしない。
○弱音を言うわりには、会社のためにがんばってしまう。
というやつ(理想のサラリーマン)です。
主人公は嫌いだが、視点を変えて番組製作側を見ると、
「うまく作っているなー」と感心してしまう。
ただ、こういう番組をみると、そのテンションの高さに少し虚しさを感じる。
単に現代版「水戸黄門」と思えば良いだけの話なのかもしれないが・・・。
ちなみに、私の車は5年前に購入した「日産」で今年車検です。
こっちのほうは、私はブレーキの構造が嫌いです(わかる人にはわかると思います)。
●最近聞いたバッハの曲
●J.S.バッハ:ミサ・ブレヴィスBWV233-236
指揮はBWV233,BWV234がクルト・レーデル でドイツ・バッハ・ゾリステン。BWV235,BWV236がヘルムート・ヴィンシャーマンでミュンヘン・プロアルテ管弦楽団。
★
これは、最近(相互の)お気に入りにしているsaitobaruさんのブログで紹介されていて聞きました。そういえば、他の方のブログでも紹介されていました。確かに、どの曲も聞いていて、聞きやすく楽しい。その中でもBWV235が印象的で美しい。
★
で自分のために、覚え書きを書いておきます。
(バッハ全集第7巻の解説より)
●どの曲もキリエ(1曲)とグローリア(5曲)の2部6曲で構成されている。本来ミサ曲は、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・ディで構成される。
●すべて1730年代後半の作品で、以前の曲からの転用(めんどうなので記載は省略)。ただ、転用したのだから、手を抜いたというより、お気に入りだったのではないか。そう考えると転用された曲を聴きたくなる(一部は聞いている)。
●ミサ曲は、カトリック教会の聖体拝領を伴う典礼の声楽曲をいう。ただ、宗教改革後のプロテスタントの教会、特にルター派教会では、さまざまな形でカトリックの典礼の形式が使われていた。
●バッハの小ミサ曲が、キリエとグローリアしかないからといって、当時のルター派教会でこれしか行わなかったわけではない。
・・・ということで。