「おくりびと」オスカー・外国語映画賞受賞はすばらしい。このニュースを見て、私はだいぶ前に見たこの映画の不思議な感覚を思い出したが、下記つながりで大学卒業以来、ほとんど聞いたことがなかった、フラメンコに行き着いた。

そのつながりについて簡単に書いておきます。
興味があれば、読んで頂けると幸いです。
なお、私の「(自己流)シャーマニズム的多神教的宗教観」から、自然現象にも、無生物にも「意味」があり、すべて何らかの形でつながりがあると考えています。ただ、そのつながりは一神教のような強いつながりではないが、そこにあると考えています。

●映画「おくりびと」
だいぶ前にこの映画を見て、不思議な印象を残した佳作と感じていました。ただ、「死んだ父親が持っていた石の話」なんかは少し技巧的な感じもしたし、父親の設定が中途半端のような気もした。でも、元木が好演で、その後にじわりと記憶に残る映画と思う。それほど好きではなかった広末も良かった。なんといっても、この主人公がオーケストラ解散の後に移り住んだ元「喫茶店」が気に入った。

●納棺師
この職業が、あの最大級の海難事故「青函連絡船洞爺丸事故」に絡んでいた。

●青函連絡船洞爺丸事故
1954年(昭和29年)9月に、旧国鉄の青函航路で起こった海難事故で1115人が死亡。
この犠牲者の中に、仙台の服装学校の生徒が一人入っていた。
その事故の直前に、仙台の服装学校が修学旅行で函館に行った(服装学園にも修学旅行があった)。一人を残して、全員はこの事故の前日の便で仙台に帰ってきた(らしい)。一人だけ「あと1日残ってから帰る」と引率の先生に強く言ったらしい。その一人がこの事故に巻き込まれた。
その「あと1日残ってから帰る」というのを許可した引率者が、私が大学時代、家庭教師をした家の父親だった(ウラとってません)。この父親は、この判断が「人生の最大の悔い」と何度も言っていた。

●この父親のヨーロッパ旅行のおみやげ
その父親かヨーロッパ旅行を行った(単なる旅行ではなく、服装関係の旅行だったようだ)。その父親の土産がマニタス・デ・プラタのフラメンコLPだった。私は、旅行の前に、お土産買ってきてやると言われ、クラッシックギターの世界のマエストロ「セゴビア」のLPをイメージし「スペインでもっとも偉大なギタリスト」と言えば直ぐわかってもらえる」と伝えていた。ところが、スペインのレコード店の店員の「スペインでもっとも偉大なギタリスト」とは、このマニタス・デ・プラタだったのです。

●マニタス・デ・プラタのフラメンコLP
大学を出て以来一度も聞いていなかったが、マニタス・デ・プラタのフラメンコを急に聞きたくなりU-tubeで探したらいくつかヒットした。その中で印象に残った演奏を貼り付けてました。またしても、U-tubeのありがたさを感じた。

私は、大学時代、最初にこのマニタス・デ・プラタのフラメンコ演奏を聴くことができ本当に良かったと思う。この、アクの強さ、ダリやピカソも愛したフラメンコ奏者です。映像の通り、彼は超絶技巧ですが、それより、この「スペイン的バタ臭さ」がすばらしい。これはとても日本人にはマネができない。そして、今はやりの日本のフラメンコギタリスト「沖 仁」なんかは全くの若輩に見えてくる。

●Manitas de PlataとJose Reyesによるブレーリアス

やはり「フラメンコは歌がないと」という感じもするので、もう一つ張りつけました。この演奏は、前期より若いころの演奏で、演奏に力がある。そして、歌も素晴らしい。やはり男声のフラメンコこそ味がある。これを聞くと、大学時代のある時期が思い出される。

・・・ということで。