バッハ全集(全15巻)の記事をを読むと、普通の本では通常読むことがないことが得られて面白い。CDとセットで全巻の正価は30万円を超える。私でもこの本を図書館で読めるのはほんとうに助かります。次はモーツアルト全集なんかも出してもらうと、定年後の楽しみが増えてさらに助かるのですが・・・。
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なお、話がそれますが、私がいつも見ていたギター愛好家のサイトが閉鎖になった。この方のブログリンク集は、プロ、アマ問わずその広範なデータが揃っていて重宝していた。おそらく高齢になったことと、だんだんとブログが増えてきて維持が大変になってきたのだろう。「ご苦労様でした」と言いたい。

で、首記の本です。

●バッハのチェンバロを求める旅/渡邊順生(よしお)/バッハ全集より
この記事は、だいぶ前図書館で借りてにコピーしておいたもの。バッハ全集の何巻だったかはメモしなかったので忘れた。渡邊 順生さんは1950年、神奈川県のチェンバロ奏者。
この記事をコピーしたのは、最後にラウテンベルクの記述があるためですが、このような、チェンバロ奏者自ら書いた記事は、ところどころに演奏家としての感想らしきものが書いてあるので、バッハのチェンバロ曲を聴くのに参考になります。

この記事(18ページ)の構成は下記です。
問題意識
○チェンバロは高価であり、ドイツでは、裕福な市民が存在したフランスと違って、家ではクラヴィコードで練習し、人前ではチェンバロを弾いていた。
○当時の演奏家、楽器製作者は、現状の不満からさまざまな工夫を凝らして新しい楽器を考案していった。
○バッハも、ラウテンヴェルクをはじめ、新しい楽器をいくつか考案している。
○19世紀の研究家シュタッピが、近代楽器こそすぐれているという観点で「バッハの想像力の中で鳴り響いていたのは(チェンバロではなく)近代のピアノだった」と言った(らしい)。現代の古楽ブームからは考えられないことですが、その一方で現代のクラシックが楽器の発展力を失っているように思えるのが、気になる。
チェンバロ制作史概観
ドイツのチェンバロとミートケ及びツエル
○ドイツで現存する最古のチェンバロは、ライプツィッヒのハンス・ミュラーが1537年に制作したもの。
○1980年にベルリンの1719年春ベルリンに赴いたJ.S.バッハは、勤務していたケーテン宮廷のためにチェンバロを1台購入したが、この製作者がミートケ。この楽器の披露演奏会で演奏したのが、ブランデンブルク協奏曲第5番らしい。
17世紀のドイツとフランスのチェンバロを追って
チェンバロの原型
ドイツのクラヴィコード
チェンバル・ダムールとラウテンヴェルク
チェンバル・ダムール
ゴットフリート・ジルバーマン (1683年-1753年)はドイツの優れたバロック・オルガン製作者。
彼は初期のピアノも試作していた。このピアノをバッハが試奏しているが「高音域が貧弱でタッチも重い」と評したらしい。このチェンバル・ダムールはジルバーマンが考案し、ダブル・クラヴィコードともいう。通常のクラヴィコードの2倍の弦長を持ち、真中をタンジェントが突き上げる構造になっている(らしい)。それで楽器は3mを超える巨大なものになるが、比較的大きい音量が得られ、且つクラビコードの微妙なニュアンスが表現できる優れた楽器との評価のようだ。ただ、バッハがこのチェンバル・ダムールを弾いたという記録は残こっていない。私も、この楽器の音を聞いてみたい。
ラウテンヴェルク
渡邊さんは、ラウテンヴェルクのことを次のように書いている。
○ラウテンヴェルクは現存する楽器がないが、資料は数多く残っているので、試作したひとは幾人かいるが、さまざまな評価(おそらく「これがバッハが好んだ音なのだろうか」ということ)がある。
○この楽器で確実に言えるのは、ガット弦を使っているので音の立ち上がりがはっきりしていて、かつ響きが柔らかいということ。
○もともと、チェンバロの概念は、鍵盤のついたリュート。フローベルガーやクープランのリュート的書法による作品において、チェンバロのもっとも美しい響きが聞ける(これは渡邊さんのk意見)。
○バッハが溢れんばかりの想像力で求めていたチェンバロは、リュート的な特質だった。立ち上がりがはっきりし、ニュアンスが豊富で、よく歌う楽器だったのではないか。
○バッハの若いころ(ヴァイマール時代、1708年の頃)に作曲したBWV996の筆者譜には「ラウテンヴェルクのために」と書いてある。ただ、この記述は、私にとっては大変気ななる。ラウテンヴェルクはバッハが晩年に考案したのではないだろうか。だから、ヴァイマール時代は、バッハはリュートのために作曲したと思われる。さえらに、渡邊さんは、BWV997やBWV998もラウテンヴェルクのために書かれたのではないかと言っている。バッハはクラヴィコードで作曲したかもしれないが、やはり対象はリュートではないだろうか。なお、BWV997は、リュート的というより鍵盤楽器的と思われる。
バッハがいつ、ラウテンヴェルクを考案したかは、私にとっては重要な「謎」だ。

いろいろと抜き書きしておきたいこともあるのですが、一応コピーを持っているので、ここいらで。

●昨日(3/14)聞いたCD西部戦線異状なし-ゴールドベルク
●BWV988 ゴールドベルク変奏曲/グスタフ・レオンハルト(cemb)/ドイツ・ハルモニア・ムンディ限定BOXより

グスタフ・レオンハルト(1928‐)はこの曲を3度録音していて、このCDは3度目の1976年のもの。私は、この曲はグールドの2回目のピアノならではの録音が好きですが、ある意味では、その対極にあるこのような演奏も、聞いているうちに、バッハが求めた演奏はこんなんだったんだろうと思われてくる。
なお、この楽譜のタイトルは、下記とのこと。

「クラヴィーア練習曲集 二つの鍵盤をもつチェンバロのためのアリアと種々の変奏より成る。愛好家の心を慰めるため、ポーランド国王およびザクセン選帝侯の宮廷作曲家、楽長にしてライプツィヒの音楽監督たるヨハン・セバスティアン・バッハにより作曲。」
(ヘルマン・ケラー著「バッハのクラヴィーア作品」東川清一・中西和枝共訳:音楽の友社より)

・・・ということで。