最近はいろいろと忙しく、
その中で家族の誕生日、法事、○○記念日等、日常のの約束事が過ぎていき、
じっくりとものを考える暇がないまま、
単に時間だけが容赦なくとどまることなく流れていく。
ただ、その合間に、旅先でも地元でも
喫茶店でコヒーを飲みながら本を読み(バッハの)音楽を聴く。
それが至福の時。

●出張先で見たBS映画「ニューシネマ・パラダイス」西部戦線異状なし-aa
一昨日の大阪出張で夜遅く関西空港近くのビジネスホテルでTVをつけたら「ニューシネマ・パラダイス」をやっていた。考えてみれば、私がこの映画をみてから、既にそうとうの時間が経っている。
ただ、なんか以前みた印象と違うな~。こういう映画だったのかな~と思っていたらどうも、劇場版と完全オリジナル版の2つがあるようだ。
完全オリジナル版は約3時間で劇場版は2時間。カットされた1時間には主人公「トト」と若いころの恋人の別れと再開の話、年老いた母親との会話、父親役の映画技術者アルフレートと恋人との約束などが入る。追加されたキイワードはアルフレートが青年トトに言う「人生は、映画よりずっと過酷なものだ」と思われる。その追加された部分の評価ですが、異論があると思いますが、最後のラストシーンの意味が、このカットされた部分により、(人生の)深みが加わる。
  ★
実は(今頃言ってもだれも信じないでしょうが)、最後のシーンの意味ですが、劇場版では都会の生活から見た過ぎ去りし過去へのノスタルジーという単純な理解はできるが、その必然性が判ったようで判らなかった。
  ★
なお、このカットされた部分は、「一般的な素晴らしさを、ステレオタイプの薄っぺらな映画におとしめた」と見ることもできる。ただ、この中年男のだらしなさの意味は(私のような)中年になってこそ理解できると思う。また、波瀾万丈の人生を歩んできた人ならば、男性でも女性でも、より一層の感慨があるのではないだろうか。

そして、ラストで「トト」が何を考えたのか。それはエンニオ・モニコーネの音楽が答えているのだろう。そういう意味で、イタリア人モニコーネの音楽は素晴らしい。

この映画の最後のシーンをU-tubeで。


だんだんと私のブログが、なにをテーマとしたものなのかが判らなくなってきた。
一方、私が閲覧している音楽をテーマにしているブログの方は、
首尾一貫していて、その「ぶれのなさ」はすばらしい。
私も見習わないと。

・・・ということで。