人にとってはあたりまえの話が、十分に考えていない自分にとっては驚きのことがある。
そのひとつに「バッハを弾くと、時々音が降りてくる」というのがある。
種明かしをすると、ギターの楽譜はピアノ譜と違って必ずしも声部が明確に判るように書いていない。そのせいもあり、いつも、いい加減な譜読みのまま弾いているので、ある瞬間、意識していない旋律が降りてくる。そして、その(不思議な)旋律が、再び曲全体の音の流れの飲み込まれて一体化していく。全体からみれば、単なる一瞬の出来事なのですが、それが(とても)心地よい。そんな小さな発見があると、そこを何度でも弾くと楽しい。これは「いいかげん力」のおかげかもしれない。

で、首記の話。
●BWV73の小さな発見西部戦線異状なし-ガーディナー
しばらく前(3月)に、ちょっと違った驚きをがあった。図書館から季節はずれのガーディナーの「J.S.バッハ:カンタータ集Ⅱ顕現日後第3主日カンタータ」を借りて聞いていて、「あれっ」と思った。
BWV73《主よ、汝の御心のままに》の最後のコラールですが、仏映画「めぐりあう朝」のサウンドトラックの「作者不詳の古いシャンソン」と旋律が同じ。これは、サヴァールが「作者不詳の古いシャンソン」とうそを言ったのか、それとも、バッハがその旋律を流用したのか。はたまた、私の聞き違いなのだろうか。私にとっては不思議な話だ。
だれか、判っていたら教えてほしい(です)。


改めてこの仏映画「めぐりあう朝」のシャンソンを貼り付けておく(これは私自身のメモでもあるのであしからず)。
●若い娘(16世紀の作者不詳のシャンソン)

やはり、同じ旋律と思う。

●ogawa-Jさんの「第1章幼年時代」
HPからプリントアウトして(改めて)読んだ。プリントアウトしていなかったので、けっこう読み飛ばしていたのが判る。われながら「いいかげん力」日々向上している。当然ながら「忘却力」はもっと凄い。それでも、少しずつ定着している記憶もすこしはある。バッハ本(や記事)をいろいろ読んでいると、それぞれ観点がすこしずつ違うので、その情報によって今まで気がつかなかったことがつながってくる。ogawa-Jさんの「バッハの生涯」はまず骨子をおさえて、次の段階で肉付けするというアプローチらしい。これは他に仕事がある場合は、当然の方針と思われる。その骨子であっても、しっかり最新の事実に基づいていると思われるので、読んでいて心地よい。

今度は、ケーテン時代以前のバッハの初期作品を聞いてみようかと。
・・・簡単ですが、ということで。