昨日は、身近な人が都営新宿線の篠崎駅で朗読の練習会。彼女を送るついでに、しばらく行っていなかった瑞江の「お気に入り」の喫茶店で1時間半ほど粘って本や雑誌を読んだ。なお、そのうち30分以上はうとうとしていたが、それこそ至福の時
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そのあと、身近な人と待ち合わせをして、近くの映画館にいった。「スラムドッグ・ミリオネラー」を見ようとしたが満席で断念。この映画、結構人気があるようだ。二人でみれるのは「おっぱいバレー」。迷ったが、結局映画は来週見ることにして、フードコートで簡単な夕食と併設のスーパーで買い物。なお、切符は新聞購入の際もらった2枚の映画券。有効期限は4月末なので、なんとか今月中に映画をみないといけない。
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で、喫茶店では
○東京下町のおいしい店や喫茶店を紹介した雑誌の別冊(タイトル忘れた)。
○SWING
○バッハの本
○ogawa-Jさんの「バッハの生涯 第1章幼年時代」
を読んだ。なお、この喫茶店のコーヒーはいつもながらおいしい。自家焙煎の店なのでコーヒーの入れ方の他豆の選定もあるかもしれない。

●ogawa-Jさんの「バッハの生涯 第1章幼年時代」
この章は下記の構成。
Ⅰ.アイゼナハ(1685年-1695年)
Ⅱ.オールドルフ(1685年-1700年)
Ⅲ.リューネブルク(1700年-1702年)
Ⅳ.再びチューリンゲンへ(1702年-1703年)
以下は感想ではなく、インスパイアされたところをとりとめもなく書いていくというもの。
幼年時代、青年時代の私の興味
・音楽的にどのように成長していったか
・どんな(宗教)教育をうけ、どんな考えを持つようになったか
・あの頑固な性格はどのようにして形成されたか
・J.S.バッハの家族、交友関係
・どのような経緯で初期作品が作曲されたか
・その町はどんな規模でどんな歴史があるのか
・その時代はどんな時代だったか
・ヨーロッパ全体の音事情はどうだっかた
・その音楽をJ.S.バッハはどのように吸収したか
・そして事実をベースにした、J.S.バッハの大胆な解釈
Ⅰ.アイゼナハ(1685年-1695年)
・あえて言えば、年代を入れてほしい。
・アイゼナハは当時約5~6000人の町。
・ドイツ語学校の席次が記録に残っている。席次とは成績のことらしい。
・バッハは、いつ頃からあのルターの教理問答を学んだのだろうか。
・J.S.バッハはヴァイオリンもヴィオラも名手だったらしいが、これは父親から学んだらしい。
・J.S.バッハはいつごろからオルガンを弾き始めたのか。ogawa-Jさんはこの時代は不明としている。
・1984年に母が死に、翌月1985年に父アムブロジウスが死に一家離散となった。
・アムブロジウスが死の3カ月前に再婚していたのは知らなかった。
・そして「死」が常に身近にあったのが判る。
・当時の町の音楽事情や、ルターゆかりのキリスト信仰の状況も興味がある。
・アイゼナハからオールドルフまで約40km。
Ⅱ.オールドルフ(1685年-1700年)
・オールドルフは17世紀は約2500人の町。
・J.S.バッハは学校では結構成績が良く、授業料免除学生だった。
・詳細不明だが授業料免除定員不足で退学。
・エルトマンとともにリューネブルクに向かった。
・このエルトマンの書簡はJ.S.バッハを知るには貴重な資料らしい。
・なお、別の本ではオールドルフ→リューネブルクは約300kmの距離。
・15歳の少年二人はこの間を歩いて行ったのだろう。
・オールドルフでJ.S.バッハは兄から鍵盤楽器の技量をみがいた。
・メーラー手稿、アンドレアスバッハ本がある。
・ここにJ.S.バッハの初期作品が記されている。どんな曲が書かれているのだろうか。
・ノイマイスターコラール集は1985年には38曲のJ.S.バッハの作品が入っている。
・そのいくつかはこのオールドルフ時代の作品らしい。
・あの「月光伝説」のことが書いてあり、実際は兄とは仲が良かった。
●Ⅲ.リューネブルク(1700年-1702年)
●Ⅳ.再びチューリンゲンへ(1702年-1703年)
これは後で記入。または次の機会で。

●最近読んだ本(一部です)西部戦線異状なし-気候変動
●歴史を変えた気候大変動/河出文庫
ここでいう歴史とは、ヨーロッパの歴史のこと。別の視点からのヨーロッパ歴史を知ることができる。
中世のヨーロッパは、国家形態があいまいで、キリスト協会がその情報網を駆使して、自給自足の農民を「統治」していたというのも書いてある。アメリカ大陸発見の前に、すでにヨーロッパ人はグリーンランドを発見していたとか、いろいろ(私にとって新発見がある)。




西部戦線異状なし-インド●インドで考えたこと/堀田 善衞/岩波新書
堀田 善衞(1918年-1998年)は「ゴヤ」という大著を書いた人という程度の理解。彼の本は読んだことが無い。この本を読んで堀田さんは大変ノーマルな人と感じた。その思考は簡潔・理知的で面白い。今度、かれの作品を数多く所蔵している県立神奈川近代文学館にでも行ってみたい。