まずは、音楽にあまり関係がないかもしれない「安全文化」の話。
ほんとう(本当でない場合がある)に「安全」を最優先事項とする組織文化を醸成するには、「コミュニケーション」、「報告する文化」、「公正な文化」、「学習し続ける文化」が必要と言われている。そういえば「柔軟な文化」というのもあった。実は、この関連で少し気になっていることがあります。「No Blame Culture」というやつです。これは、え~と、「罪を憎んで人を憎まず」ということで、「罪を創りだす社会(又は管理体制や設備設計)」を憎むといことです。では企業文化の中で、この「No Blame Culture」は前記「公正な文化」「と両立するのだろうかということです。
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悲しいことに、人間は(いろいろな要因で)ミスをする。
そのミスの原因を分析すると、必ずしも個人のみではない問題が多かれ少なかれ出てくる。
この2つは相反する考えと思っていたが、最近はそうではないと思っている。
基本は、
●「No Blame Culture」は現場に対し、
●「公正な文化」は、どちらかと言うと経営層を含む管理者に対し、
●そして、管理者は「No Blame Culture」の立場で、現場から課題と知恵を期待し、
●管理者は、その提言を真摯に受け止める
●だから「コミュニケーション」が大事
ということになるのではないか。
それが当たり前そうで難しい・・・。
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もう一つ、錦糸町界隈のはなし(痛恨の失敗)。
浅草かっぱ橋(台東区中央図書館)に本を返しに錦糸町の4車線の大通りを車で走っていた時。
少し早い時間だったせいか車が少ない。
そうすると、赤信号で、横断歩道を堂々とわたっている大人二人がいる。
急ブレーキをかけ、その交差点で徐行し、クラクションを少し鳴らした。
そこで、始めて気が付いた。
こちらを振り向いた二人は、なんと「や~さん」でした(たぶん)。
まず、人相と歩き方が違う。そして、その表情は「なに~」という感じ。
私は、ついつい車の中で頭をを下げてしまった。
こちらが「頭を下げた」せいか、それでことなきを得ましたが。
錦糸町界隈は、相撲取りも多いが、「や~さん」が多いということ忘れてた。
「公正」を守るのは難しい・・・。

●買った本
西部戦線異状なし-あどるの●アドルノ/マーティン ジェイ/(岩波現代文庫
マックス・ウェーバーの本と並行して、図書館で借りたアドルノの「音楽社会学序説」を読んだせいもあり、テオドール.W・アドルノ(1903年-1969年)に興味を持った。それで、入門書として、この本を昨日買いました。そうそう、ベストセラーの村上春樹の新作を(人並みに)読みたいと思っていますが、彼の本はいつも文庫本になってから読んでいるので、2年後あたりに文庫化されたら読もうかと・・・。
著者ジェイ,マーティン
1944年、ニューヨーク生まれ。アメリカのドイツ思想研究の第一人者
本の構成
●序文
アドルノは、思想の内容をその表現形式から切り離そうとする試みに対しては、きわめて懐疑的だった。う~ん。この言葉は深い。これは入門書や解説書を否定している。この言葉は、今の(読み易い)新書ブームに警告を発しているようだ。でも、新書、解説書が無いと、私もここまではこれなかった(結局、何も理解していないのかもしれないが・・・)。
●第1章 ある傷ついた生活
アドルノが1903年にフランクフルトの裕福なワイン商人の家に生まれた。
15歳から週に1知度「純粋理性批判」を読み始めた。1921年フランクフルトのゲーテ大学に入学。1925年は、ウイーンのシェーンベルクの周りに集まった革新的な作曲家のサークルに入会。シェーンベルクは、そのころ無調性から12音技法のセリー主義に向かいつつあった。ただ、アドルノが共感を感じたのは初期の「無調主義」にあった。そのためか、ウイーンの恩師たちにはあまり気に入られなかったようだ。・・・それやこれやで、ここではアドルノの経歴が概観される。そして、彼の思想には、二十歳のころに参加したシェーンベルグを囲むのサークルでの無調音楽の知識が関連しているらしい。この意味は良く理解できないが、この本を読むと判るのかもしれたい。確かに「不協和音」という著書もあった。これも読んでみたい。
●第2章 無調の哲学
第2章以降は読んでないが、彼の哲学思想が概観されている(らしい)。
●第3章 砕かれた全体性
彼の社会思想が述べられている(らしい)。
●第4章 操作としての文化、級材としての文化
ここでは、大衆文化、文化産業を含めアドルノの音楽論が述べられている(らしい)。

アドルノの論文は後に「アドルノ流のドイツ語」と評され、「ごくありきたりのことを、ただ大げさな言葉でかたるだけ」と批判されたらしい。著者は「アドルノの著作は、受け身の読者が何の努力なしに彼の思想を受け入れるのを防げるように、敢えて難解な表現で入念に仕組まれている」と言っている。そして、訳者あとがきに、この本を読んだえらい先生から「アドルノの思想がこんなに判りやすくていいのか」と言われたと書いてある。実は、マックスウェーバーと近代も2回目を完全には読み終えていないですが、これも並行して読んでいこうかと。それで、多少なりともアドルノが理解できれば・・・。そして、それが音楽の理解につながればと思っています。

このような、歴史的な文化的背景から音楽を理解するというアプローチは(多少)邪道のきらいもありますが、私にとっては、作曲家個人の物語的なアプローチより、その音楽により面白みを感じる。これは、わたしだけだろうか。

・・・ということで。