出張先の大阪のホテルで書いています。
昨日、首記の本を読みました。時間もないので、簡単な感想を少し。

●音楽の聴き方-聴く型と趣味を語る言葉/岡田睦生/中公新書西部戦線異状なし-音楽の聴き方
(ホテルで読んだ直後の感想)
タイトルからは、つまらないノウハウ書の印象を受けますが、「入門書」としていい本だと思います。後半では私が読んでいるアドルノも出てくる。結構読みやすいし(ある意味)考えさせられる。その一方で、アドルノのような難解な修辞学的文章(日本語訳ですが)にはまってしまうと、アドルノの「難しい」文にも懐かしさも感じる。

(家に帰ってからの追記分)
この本の第一印象は良かった。ただ、そのあと少し考えた。
本の構成は下記。
○第1章 音楽と共鳴するとき-「内なる図書館」を作る
○第2章 音楽を語る-葉を探す-神学修辞から「わざ言語」へ
○第3章 音楽を読む-言語としての音楽(「音楽の正しい朗読法」
○第4章 音楽はポータブルか?-複文化の中で音楽を聴く
○第5章 アマチュアの権利-してみなければ分からない(音楽は社会が作る/音楽が社会を作る?
○文献ガイド
○あとがき

私はこの本を、ホテルで1章、4章~最後まで、2章、3章の順に読み、帰りの飛行機の中で整理のため読み返しました。気楽な、その後少し考えさせる「音楽(の聴き方)入門書」であり、岡田さんの悪戦苦闘の成果と思われるのですが、残念なのは、やや「まとまりが無い」という印象。私が最近知った「音楽美学」の「入門書」という趣旨なら、また違った書き方があったと思われるが、「音楽美学」の世界は、奥が相当深く「哲学」「社会学」に精通し、そのうえ音楽を知っていないと、鳥瞰的な「解説書」は書けないのだろうと感じた(また、そんな本が売れるとは思えない)。そういう感想をこの本から受けた。私の勝手な評価ですが、前半の「音楽理解の引き出しの多様性」の紹介と、後半の「音楽美学」という世界の「道しるべ」という観点のバランスは、必ずしも成功したかどうか・・・。この本は「未完成」ではありますが「未完成」が故に、私にとって考えさせる面白い本でした。
  ★
下記は、この本のメインの感想ではありませんが、むしろこのところが面白かったということです。
(ホテルで読んだ直後の感想その2)
○私にとって参考になる「文献ガイド」が書いてあるのはすばらしい。私の読もうとしている本がかなり出てくる。先を越されたというか、当然ながら「本業」の方にはかなわない。そして、紹介された本は、私の老後の道しるべになると思われる。
○その「文献ガイド」で、片山杜秀の「音盤考現学」、「音盤博物史」を「奇書」と断定していること。私も片山さんの博覧強記は「凄い」と思いますが、「音楽の評論なんてどうせ客観的なものなどあり得ないので、想像力と類推力を武器に、なんでも料理してやろう」として勝手な世界を力技で構築してしまうのは、やはり「奇書」としか言いようがない。その一方、岡田さんは村上春樹の「意味がなければスイングはない」を評価している。ここらの感覚は、おこがましいが私に近い。
○岡田さんは本文の冒頭で、音楽を感性のあるままに聞くことなどできない、「内なる図書館」で聴いていると言う。そして「内なる図書館」はその時代の文化の影響を免れないと主張する。この「内なる図書館」とは「私自身」ではないかと思われる。そうすると「音楽は”今を生きている私”が聴いている」ということになるが、その言葉には深い意味があるということだろう。このような観点には共感を感じる(単に影響を受けただけかもしれないが・・・)。

この本を読んで、この本の意図は違うと思いますが、私が最近知った付け焼刃の知識「音楽美学」の世界を少し広げることができました。
・・・ということで。