先週は2泊3日で郷里に行って帰ってきました。また、明日は休暇で2回目の夏休みです。
西部戦線異状なし-青葉通り仙台に暮らしているときは当たり前でそんなに大したことが無いと思っていた青葉通りや定禅寺通りののけや木並木の緑のトンネルが、しばらくぶりに見るとかなり新鮮に感じました。最近の長雨で木々の成長が速いのか空が見えない。信号が見えにくいという苦情もあるようですが、心地よい。仙台で緑を多く感じるのは、堤防で仕切られていない自然のままの広瀬川、青葉山と市街地の街路樹があるからですが、駅前は地下鉄工事でだいぶ緑が減った。また、新しく作られる道路は、他の都市と同じく緑まで手が回らないのが気にかかる。都市計画をやりたいと言って工学部の建築課大学院をけって仙台市役所に就職した「Hori○」、今は偉くなっていると思うが、お金が多少かかっても要所にはちゃんと緑を残してほしい。なお、君のせいではないが、市電も残してほしかった。
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西部戦線異状なし-大念寺仙台では、両親のお墓まいりをしましたが、青葉山の隣の向山にある大念寺(宗派は黄檗宗)の周りの緑の木々が生き生きとしていた。ただ、南のほうでは豪雨で多くの方が亡くなったし、東北の稲の生育も悪いらしいので、あまり手放しでは喜べない。なお、一応、七夕も見ました。



で、帰省中に読んだ本の話。
●ベンヤミン「複製時代の芸術作品」精読/多木浩二
西部戦線異状なし-ベンヤミンバッハを知るために始めた音楽関連の本の探検も、アドルノまで行ったら、やはりベンヤミンも読んでおくべきと思い、この本を購入。ただ、アドルノに比べ、この本は、言っていることは判りやすい反面、その中で彼は何を言いたかったのかが難しかった。なお、この文庫の『精読』シリーズは、後ろに原文が入っているので、解説と本文を読めるのでいい企画だと思う(おそらく、大学の学生には便利なアンチョコになるだろう)。以下は、私自身の頭にの整理のため、覚書を多少書きとめておこうかと。

著者/多木浩二
批評家(美術評論家・写真評論家)らしい。1928年生まれ。実は私はこの人の本を以前読んでいます。岩波新書の「ヌード写真」というやつです(今は捨ててしまって持っていない)。中身は「ヌードの社会学」というようなかたい内容で「がっかり」した記憶があります(当時は私も若かったし、つまり動機が不純なので全然理解していない)。Wikipediaで調べて見ると立派な人のようだ。
ベンヤミン
この本の最後に書いてある経歴を写しておきます。なお、私はアドルノからの流れでこの本を読むまでは、ベンヤミンの名前は聞いたような気がするが、全く知らなかった。岩波新書の「ヌード写真」で出てきたかもしれない(忘れた)。
○1892年生まれ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。
両親はユダヤ教だったが戒律は守っていなかった。ただ、ベンヤミンの思想は、ユダヤ神秘主義とマルクス弁証法が共存した特異な存在(結局教条的"マルクス主義"ではない)とみられている(らしい)ので、この生い立ちは重要と思われる。
○1919年ベルン大学で「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」で博士号を取得
○1925年フランクフルト大学に教授資格論文「ドイツ悲劇の根源」を提出したが拒否される。
○1933年ナチス政権成立とともにパリに亡命。フランクフルト社会研究所の共同研究員となる。
○1940年ドイツのパリ進攻でマルセイユに出てアメリカに渡ろうとしたが出国ピザが取れず失敗。スペイン入国も拒否され、ピレネーを越えスペインに入ろうとしたが、スペイン警察から強制送還の脅しにあい、服毒自殺。
この本の書かれた時代
この本を読むには、ファシズムが芸術をも飲み込みつつ勢力を増している状況、絵画等の伝統の芸術が大衆化の中でそのアウラを喪失していく、その中で、写真そして映画という"最新の複製"芸術が、その未完成のなかで形作られていく、そういう状況を多少知っておく必要があるだろう。今では当たり前のことですが、絵画や彫刻が美術館という展示場に移されていくという過程も、ベンヤミンにとっては、アウラの喪失として映っていた(ようだ)。なお、この「複製時代の芸術作品」は、難解なベンヤミンの著作のなかでは判りやすい本で、ベンヤミンによるベンヤミン入門の本と、著者の多木さんは言っている。

ベンヤミンの芸術観
ベンヤミンは、以前、芸術は宗教と結びついた礼拝の対象だったという。それは、石器時代の洞窟の絵画から始まる。それれが、近代に入り芸術が宗教と分離し、芸術の大衆化、例えば、絵画や彫刻が、もともとあった一回限りの場所から大衆のための「美術館」に移動する過程で、その芸術作品が持つ「アウラ」(これは「オーラ」と言ったほうが判りやすいかもしれない)が喪失しでくる。そのような従来の芸術の凋落の時代、その一方でファシズムが席巻し芸術を政治的プロパガンダにに利用される中で、ベンヤミンはその大衆による芸術の受容の世界を新たに位置づけようとしたようだ。
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かれは最初は「複製」に否定的だったが、その後「複製」に積極的に関わろうとすると共に、「複製」に感じる違和感の正体を明らかにしながら、「複製」を足掛かりにして、(私には良くわからないが)人類の歴史の危機を語ろうとしたようだ。このところ、ベンヤミンの言葉は下記の通り。

芸術作品の複製が可能になったことが、世界史上初めて芸術作品を、儀式への寄生から解放することになる。・・・芸術生産における真正性の尺度がこうして無力になれば、その瞬間に、芸術の社会的機能は相対的に変革される。儀式を根拠とする代わりに、芸術は真の実践を、つまり政治を根拠とするようになる。

結構過激な内容です。
何度も言いますが、ファシズムが新しい芸術を取り込もうとしているのに対抗し、ベンヤミンは芸術を反ファシズムの中で(必死に)大衆側に位置づけようとした。完全に芸術産業に取りこまれ、その中で「芸術」が生きていると思われる現在から見ると、アナクロニズムとノスタルジーを感じる。それは私が「小市民」(この言葉も死語に近いが)に属しているからだろう。
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え~と、ファシズムによる政治の芸術化に対し、ベンヤミンは芸術の政治化で対抗しようとした。政治の究極の芸術化は戦争賛美であり、その典型を北朝鮮の「芸術を愛する」金正日に見ることができる。ただ、金正日自身は、アメリカ帝国主義に対抗し大衆の側に立って芸術を「推進」いると思っているだろう。ナチスドイツの崩壊を見ずに死んだベンヤミンが、アドルノのように戦後の冷戦構造とアメリカの高度大衆社会の芸術を見たらどう批評しただろうか・・・。
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また、付け焼刃の知識で考えると、バッハの生きた時代は、芸術が「アウラ」を持っていた最後の時代と位置づけられないか、そして、その後の200年の西洋音楽は「アウラ」の喪失と回復の試みの時代と解釈できるのかもしれない。また、この試みを破壊するのがシェーンベルグの「無調音楽」であり、そこに革命的意味があったのだろう(なお、アドルノは彼の無調音楽を評価し、セリー主義に移っていたシェーンベルグを辟易させた)。ただ、その"革命"は大衆が(ほとんど)理解できなかったことで失敗したと思うが・・・。これこそ、私のおばさん的ステレオタイプの理解なのかもしれない。

・・・ということで。
なお、ベンヤミンは「大衆の芸術の受容」に面白い考察を加えている。これはその2で書こうかと。

追記)
上野に、最近行っていないですがギターの店「アウラ」があります。この「アウラ」の由来は、ベンヤミンの言う「アウラ」なのだろうか。そうだとしたら、この店長は(私と違って)頭がいいんだな~と思った。そして、ほんとうの文化系(経済工学とかをやるやつではない)と理科系の人間は、やはり世界が違うのではないかと今になって思う。