10月20日(日曜日)



今年は、ゆっくりと秋が訪れるという感じではなく

夏が続いているのに、秋が遠慮がちに顔を出しているという

とても変な気候のような気がします。


毎年、楽しみにしている金木犀の香は、秋と同じように

冬の前に「忘れないで」と言っているようです。

小さな金色の花達は、やっと大好きな香りで体を包んでくれています。



熱かった夏に、心に深く刻まれた言葉があります。


千・・・・千日という日々、どんな長さなのでしょう。

千秋楽、一日千秋の思い、石の上にも三年・・・千がつく時間の言葉。


言葉一つ一つを読んでみても、何かが成し遂げられるか

もう、そろそろ終わりになるだろうと思うぐらいの時間のような気がします。



東京の病院で、男の子のお母さんは話してくれました。


「毎朝、今日この笑顔が最後かもしれない。


 そう心に思いながら毎日を笑顔で過ごしてきたのです。


 体から湧いてくる力というのか・・・そういうのありませんか?」



いつお会いしても、優しくて明るくて白百合のように可憐でした。

お母さんだって、本当は体調が良かったわけではなかったのに

その暖かさは病室の太陽でした。


その人が、毎日、一瞬一瞬の笑顔を、

交わす言葉を心に焼きつけながら

不安な自分の気持ちと闘い、押さえて、

母親として笑顔で毎日病室にいたのだ。

それが分かった私には、言葉が心に深く焼きつきました。

その日々は千日をはるかにこえていた・・・。



私自信の7年ぐらいの経験でも、少しだけ分かる。

子供が生まれて、すべてが初めての事ばかり。

三十路半ば過ぎで、社会ではいい大人でも

不安な気持ちで、おたおたすることは人一倍・・・。


子供が体調を崩して、急変したりすると

不安で不安でたまらなくて涙が出てしまうような時。

どこからか自分を勇気づける力が湧いてくるのです。


「母親の自分が踏ん張らないでどうするだ。」


三十路すぎてもどこかにあった「女の子」だった部分が、

本当に大人になった時だったのかもしれません。


「強さ」とは、自分で自分と闘って、励まして、立ち上がった時に

身につくものかもしれません。


「強さ」というと強靭な印象を受けますが、

その「強さ」は、とても美しいということを、

私はお母さんから学んだ気がします。


その美しさは、今年の猛暑の中、生き生きと

太陽を向いて咲いていた向日葵のようです。


とても暑かった、今年の夏。


私の心には、とても美しい向日葵が残りました。

瞼を閉じて、お母さんを思う時、その美しさと強さに

今でも涙が滲んでくるのです。