流されてゆく | 魂の唄

流されてゆく

再び唄い始めるまでは、気付くことが出来ないでいたこと。唄いはじめてしばらく経って、ようやく、感じはじめていること。
去った年に、亡くなった女性がいて、彼女の両親を訪ねて、お参りをさせてもらった、その、帰り道。
吹き出すように、あふれてくる涙をこらえるのに懸命だった。電車の中で、ずっと、上を向いていた。
涙が嗚咽に変わるほんの少し手前で、一粒一粒の雫が言の葉に生まれ変わっていった。
彼女の生まれ変わりとして、よみがえった唄は、聴くものに何かを与え、何人もの人が、会ったことのない、そして決して会うはずのない彼女のために涙した。
唄は、生命を受け、静かに広がり続けているのだけれど、彼女の両親はまだこの唄に出会っていない。これまでに、何度か、その機会はあったはずなのだが、何らかの理由でかなわないでいる。
年が明けて早々にも、意を決して訪ねて行ったのだけれども留守で、ようやく電話がつながったのは、始発駅に戻った時だった。
唄い始める前だったら、そのまま、とんぼ返りをして、押しかけてしまっていたかも知れない。しかし、なぜか、まだ、会わない方がいいのだ。と誰かに、諭されているような気持ちになって、あらためることにした。
あらがわず、なれあわず、とどまることなく、流されてゆく、そんなことがあるのだろうか。