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“L”は表向き、上昇志向をモチベーションにする女性ではなかった。地位についていることをアピールしたりはしなかった。しかし地位を下りたがっているとも思えなかった。先輩をはじめ踊り子仲間を尊敬し、後輩をかわいがり、彼女たちをとにかく大切にしていたが、“L”自身として、少なくとも公演中、彼女たちを束ねた座長の立場を取り続けることを、その世界で生きていくのにあたっての運命として受け入れていったように思える。それはすなわち、ひいきの目で言うなら、“L”はストリップ界の宝になりつつあったということである。
外観的には、その170センチ近い長身は美点の一つだ。ウエストのくびれやFカップのバストを維持することにも意欲的だったと思う。彼女ならではのストリップの演目を工夫しチャレンジし続けていたとことも疑いない。それに得意の語学以外にも能力の幅を広げることにも意欲を見せたし、旅行好きで映画好きマンガ好きといったこともピールしていた。マンガを描く才能は玄人はだしで、仲間たちを題材にしたイラストの評判も高かった。
他の踊り子が彼女をトリにふさわしいと評価するのには、そういった能力や美点に一目置いていたからだと思う。
ダンスの力に対する評価や身体能力に対する通の客の見方がネガティブであることは意識していて、苦手を少しでも克服しようと努めていることは私にも伝わった。
しかし彼女はそういう弱点をいちいち指摘されることに平気だったわけはなかったのだ。そういうのコンプレックスを払しょくしてくれる存在は、彼女がトリとして「君臨」することを支えてくれる仲間たちであったに違いない。
“L”が劇場側からその地位を与えられた理由は美貌とスタイルと理解力をもたらす知性とミッションをやり抜ける性格的な強さだと思うが、もし踊る力で引け目を持つなら、もっとも気を遣ったのは確実に、トリの座を彼女に譲っている先輩をはじめとした踊り子仲間であったはずである。
それは彼女が様々な場面で発する言葉の端々に表れていた。取材されてストリップを紹介する女性漫画家の作品に登場した彼女でさえ、口をついてお姐さま方への感謝を述べている。考えてみると、彼女がトリを取る踊り子であり続けることは先輩や仲間のストリッパーたちの存在を守り続けるために重要だという思いが彼女にあったのではないか。
それは、たとえ自然な心根の発露であったとしても、実はすさまじいプレッシャーとの戦いがあるが故ではなかったのか。
そうしてその地位の頂点に達したと思われたそのとき、彼女の身の回りに大きな3つの出来事が起きた。3つのことは並行していたように見えるがどのように関連したか真相はわからない。
ひとつは、彼女は精神的な休養を理由に、カナダに1か月ほど、それも普通の踊り子にとっては大切と言われる周年の時に重ねて、初めてともいうべきホームステイの旅行に出た。それ以前にも海外旅行のレポートはあったが、異例の長期だった。
そしてそのころに、彼女のドラマイメージビデオのリリースが途絶え、映像作品が発売されなくなる。制作を続けるには売り上げに限界があったのではないだろうか。
もう一つの出来事は、私には想像を超えた。それを認識するに至ったとき、“L”の熱烈ファンと自認していた私はたぐいなき苦しみを味わうことになった。