これはこの記事の続きです。
多くの現役ストリップ出演者がAVに出演するとき、それがかなり変態チックな作品であってもそれをSNSで宣伝すると思う。それによってそれもまた自分のパフォーマンスの幅のうちであるとアピールする。
中には、しかも“L”と同じR所属としてストリップに出演しながら、Fチャットへの出演を公開している人もいた。その彼女はSM系のM女として売っている人だ。
それに対し、“L”は“L2”としての顔を、今に至るまで隠し続けている。私もファンとしてそのことについてSNS上で言及していない。もはや忘れ去られていると思う。
私は、彼女の所属事務所がどんなものかも知らない。おそらく個人事務所のようなものはあるのかもしれない。その「所属事務所」がそのことを知らなかったとは考えられない。むしろ直接関与していた可能性も考えられる。
私は、一部の深いファンは、“L”との間で、いずれかの時点で事情を把握し、了解事項として不問に付す約束ができていたのではないかと疑っているが、今に至るまで確認することができなかった。
ともかく、“L”をビジネスとしてのこの仕組みに引きずり込んだ人たちがいて、それは彼らがその仕組みで利益を得るための切り札として、誘い込んだと考えるが、“L”としても、それを受け入れて正体を隠して参加できるという過信があったのではないかと思う。
その一方で、それで金銭的な利益を生み出せば、彼女自身の収入のためということでなく、彼女自身の活動又は人間関係の目的にかなうと思ったのではないだろうか。
その一方、精神的圧迫感にさいなまれていた当時、わざを磨く必要がなく新鮮な感覚で取り組める新たなエロビジネスとしての仕事に、自分の可能性も見つけ出したのだと思う。
つまりやむを得ない必然性がそこにあったのだろう。私は彼女に直接渡した手紙の中で、その可能性については言及しているつもりだ。しかし続けてはいけないと。そして実際その通りになった。
だがそうなる前に、恐らく劇場Rからの何らかのアプローチがあった。その軋轢に、“L”はファンとして時々やってくる私の動きが絡んでいるというふうに察知したのではないか。
おかしなことをするあの客の名前が彼女の前に上がったのは、そのことを私が知って劇場Rに通報の手紙を送ってから初めて“L”に会う前に違いない。
私の追及行為がなかったら、彼女は何も起らず続けられた、とは思えない。どこかで何かにぶち当たったに違いない。
たった1,2通の手紙を出しただけで、トップストリッパーの運命を妨害できたりするわけがない。だが、劇場側は彼女にサイトへの出演をやめさせるのに、YAMADAという名前の男の追及があったことを理由にしたのかもしれない。
戸惑う“L”に、取り巻き連中は、やたら口うるさいだけで大して経済的に貢献していない頭のおかしなその男を害毒に仕立てて、“L”から切り離し、こいつを排除することが新たなスタートを切るのにベストな選択であると、とあれこれ“L”に吹き込んだのではないだろうか。
“L”はその考えを受け入れ、それで“L”の私に対する態度が明確に悪化したのだと想像する。彼女の態度の悪化にはそういう邪推が働くほどの激変があった。私にとっての“L”との愉快な日々は完全に断ち切られてしまった。
要は私を責任を押し付けるためのスケープゴートにしたかったのか。そうやって私を悪者として扱い続ければ、私は独り相撲で「蟻地獄」に堕ちていくしかできなかった。
彼女が私に向けた非難には、追及をはぐらかす口実の意味が含まれていたためなのか、具体的なことは何も挙げられていないが、まったく事実無根だったり不当だったりとばかりは言えないかもしれない。
そのつもりのない無邪気な話題の中に彼女への言葉、他の踊り子さんへの言葉に、結果的に心を傷つけてしまうような行き過ぎがあったかもしれない。
真相がわからず当惑する私への具体的な説明を怠っていることの言い訳は、それを彼女の口から言えば、身も蓋もないことにしかならないということかもしれない。
だがそう私自身に考えさせることはとても卑怯なことだ。それで私は振り回され、「蟻地獄」にはまってしまった。考えれば考えるほど、動けば動くほど抜け出せなくなってしまう。
早い話もし「以後、チャットへの出演に関する話は一切するな」という意味のことを言ってくれるだけでも、早い段階で引き下がれた。まず認めてほしかった。
私を追い込んでいく一方的な対応、特に『迷惑行為に関して』のブログ記事について削除するでなく、説明するでなく、放置し続ける一方、同警告記事掲載から1年半以上ののち、『出禁』申し渡しの1年以上も後の入場に対して、実際の「権限」を発動したやり方は不当だし、それが彼女の精神的安定や踊り子としての活動を維持するやり方として間違っているとを私は明言したい。
それを彼女に納得してもらうための正しい道筋を探りたいのだ。
ただ、ストリップを踊ることはプロの踊り子にとっても相当な決心を伴う行為であることは理解しなければならない。
理屈とか契約とかだけでは片付かないし、一度抱いた感情を容易には覆せないだろう。見られることに精神的苦痛を伴うということになれば、それは受け入れるべきかもしれない。
だとしても、名指しではないにしろ、私個人に向けての一方的な非難コメントを不特定多数の前で放っているブログの記事の削除、ないし撤回を求めるのは正当な行為だと思う。