闘いが始まった‥⑩ | 脳梗塞の妊婦。そして母。

脳梗塞の妊婦。そして母。

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出産して一週間。

出産に関しては何の問題もなかったため、退院することになった。


入院して2ヶ月。
思えば2ヶ月前、私は大きなお腹を抱えて救急車で運ばれた。

突然に変わってしまった私の身体。



脳梗塞。






原因



……不明。






苦しい毎日の始まり。




病室に一人っきりになると、ふいに窓越しにいき、窓をガタガタ開けていた。



5階……。




窓はほんの少しの隙間しか開かなかった。

私はいつもその隙間から外を見つめてた。


「この窓が全部…開いたなら……」




そんなことばかり考えていた。

窓の隙間から入ってくる風が、入院した頃はまだ夏の終わりで暑かったのに。

退院の頃は少し冷たくなっていた。季節も変わって秋になる…。



この2ヶ月間、外に出ることもなくずっと病院生活たったので、季節も感じられなくなっていた自分が悔しかった。





そして

これからのことを考えると、不安ばかりがグルグルと頭の中を回っていた。




この目で…

この身体で…




考えると怖くなった。








退院。









新たな闘いの始まりだった。











産まれた次女と一緒に実家に帰省した。

壮絶な中、本当にがんばって産まれてくれた娘。

小さな小さな手のひらが
頑張り抜いてくれたことを必死に伝えているようだった。


3時間毎のミルク。


夜中もあげなければならなかったが、私は身体面でも精神面でも弱っていたため、心の薬と眠り薬を飲まないと安定しない毎日。


なので、夜中のミルクは私の母が代わりにやってくれた。

母もいい年になり、身体もつらかったと思う。


昼は仕事、家での家事、孫の世話。そして夜中はミルク……。

寝る間も惜しんで動き、働き続ける母。



そして精神的にも身体的にも追い込まれている私を支える。



母は










どんなに辛い思いでいただろう。




いま思うと


胸が張り裂けそうになる。




しかし母は





いつもがんばっていた。







どんな状況でも


自分をしっかりもっていた。








母は…






必死で闘っていてくれた。




何度も何度も
弱音を吐き

生きることをやめようとする私。






そんな中でも
いつも自分を持って
凛としていた母。






そんな母が…




私をみて



たった







たった一度だけ…






泣いた。





「お腹を傷めて産んだ娘に

「死にたい」

って言われてどんな思いになると思う…」

「あんたが死にたいなら…

お母さんも死ぬ」







そう言って泣いてくれた。


いまでも忘れない言葉。


絶対に忘れない光景。


忘れてはいけない
母の声。







そして



母の涙。





そんな母の
涙を見るのが辛くて…


見えない左側に母の姿を隠した私。


お母さん…







ごめんね…。







いまでも

あの時の母の声が





胸に響く…。