ホテルで朝食を取り、荷物をまとめて、唐津駅に。
唐津からさらに西を目指します!!
目指すは、長崎県平戸市を目指します。
ずっと行きたいと思っていて、行けなかった平戸でした。
唐津駅から平戸駅まで直通(バス・電車共に)ありませんが。。。
電車だと、唐津駅から伊万里駅までJR筑肥線に乗ります。
約1時間後、伊万里駅に到着。
実は、電車の中で、切符を落としてしまったらしく。。。
駅員さんにそのことを伝えると『いいですよ!!』と言ってくれて、一安心♪
伊万里駅で、MR(松浦鉄道)に乗り換えて、たびら平戸口駅を目指します。
途中、松浦駅で5分ほど停車。
※沿線は、JR呉線に似ています。
海沿いを走ります。
1時間強で、日本最西端のたびら平戸口駅に到着!!
たびら平戸口というのは旅好きな僕としては粋な名前だなあと思っていたら
たびらというのは漢字で田平と書きます。
でもひらがなで書くのが粋だなあと改めて思いました。
どうでもいい話でした。
平戸口というのは、ここが平戸の入り口(玄関口)という意味で、
平戸大橋(有料!!)を渡るのが一般的なかな?
平戸に渡る前に。。。
平戸大橋には、平戸口側と平戸側に公園があって、
平戸大橋と海の景色が壮大に拡がります。
今回、僕は、平戸口側にあるたびら公園に行きました。
こんな感じで平戸大橋を拝むことができました。
平戸大橋東口バス停からすぐです。
あまりにも平戸大橋の赤と海と空の青のコントラストがはっきり出たので、
しばらくぼっとしていました。
平戸大橋東口バス停からバスに乗り、平戸大橋を渡り、
(※ここで平戸大橋が有料だということを知る)
終点の平戸桟橋で下車。
桟橋からは平戸城が見えます。
荷物を預けて、平戸周遊をはじめる。
時間はちょうどお昼時。
腹ごしらえをしたいな♪と思いつつ、写真を撮る。
その後、幸橋(オランダ橋)に向かいました。
平戸市役所の近くにあります。
平戸がオランダとの貿易港として栄えた頃の
石造り技術を継承したものとして重要な遺構であり、
国の重要文化財の指定を受けているそうです。
幸橋(オランダ橋)から平戸市役所を通りすぎて、向かった先は、平戸城。
平戸城は、1599年に第29代天祥鎮信が築城した(らしい)
知らなかった。
ってか、天祥鎮信って誰??
それぐらいのレベルです。
平戸市役所を通り過ぎて
階段をあがり。。。
さらに階段をあがると。。。
やっと着きました 平戸城!!
たくさん階段はのぼりましたが、最高の景色が待っていました。
オススメです!!
平戸城に行った後、向かった先は。。。教会です。
平戸は、いわずと知れたキリスト教が根付いている街です。
それもそのはず、フランシスコ・ザビエルが日本ではじめに宣教したのが、平戸らしいです。
布教活動をはじめたのが、戦国時代だったというのもすっかり忘れていました。
その教会も坂ではなくて、階段をあがっていかないといけません。
長崎は、坂と階段が多いところで有名ですが。。。
平戸までとは。。。爆
平戸教会へは、寺院と教会が見える道を通っていくのですが。。。
この道のネーミングが対になっているので、面白いですが、
寺院というより寺院のあとのお墓の横を通るので、ちょっと不気味でした。
暑さと疲労でかなり体力を消耗しましたが、無事に到着♪
門
マリア様の像
あとは。。。
豊臣秀吉が出したバテレン追放令で、平戸に移ったクリスチャンも多いという。
しかし、江戸時代に出した宗門寺請制度や踏み絵などによって、
クリスチャンは、逃げ場がなくなったという。
「根獅子地区の信者をはじめ、おもて向きは仏教徒をよそおう
"隠れキリシタン"として信仰を続ける人達もいたが、
1566年(永禄九年)に"おろくにん様"が処刑、
さらには1635年(寛永十二年)七十数人が捕らえられ、
根獅子地区の浜辺において処刑をされた。
処刑はこの浜辺にある小岩で行われ、
ここからパライソ(天国)へ逝ったことから"昇天石"とよび、
今なお聖地として祀られている」
そのクリスチャンの慰霊碑が平戸教会にあります。
平戸殉教者顕彰慰霊之碑
そして、平戸教会はこちらです。
中から賛美歌が聞こえてきます。
僕は、大学がキリスト教の学校で、キリスト教概論という授業もありましたが、
オ○ムの事件が猛威を振るっていて、優だと洗脳されているという噂が広まり、全然勉強しなかった記憶があります。(苦笑
そのことを思い出しました。
平戸観光は、平戸教会が最後です。次は佐世保に向かいます。
○MR(松浦鉄道)
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○平戸大橋
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○田平公園
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○婆娑羅(ばさら)
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○幸橋
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○平戸城
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○平戸教会(聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂)
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