法事の日に時間があったので、気になっていた神社に行ってみました。
鳥居の額?には、来宮社とあったけれど神社誌には志理太乎宜神社(しりたおぎじんじゃ)とありました。
御祭神は、志理太乎宜命(しりたおぎのみこと)。
別殿は、五十猛命(いたけるのみこと)。
『志理太乎宜命(しりたおぎのみこと)は、事代主命の三宅島の丑寅の方の后佐伎多麻姫命の第五王子で片菅命の御兄神にあらせられる』とのこと。
えーと、志理太乎宜様は事代主様と佐伎多麻姫様との間にできた第五王子で、三宅島の丑寅(東北)に生まれたということらしいです。
参考HPはこちら。
小さい頃からここに来てたけど、まったく知らなかったよ。
でも、出雲の三宅島で生まれたのに何故にここに祀られてるんだ?
それとも、出雲じゃなくて東京の三宅島?
東京の三宅島とも関係あるのかな?
参考HPのリンクに椎取(しいとり)神社があるけど。
すんごい、気になるんだけど~~~(^^;)
姫が死んでから、関東は出雲の直轄地になったらしい。
それまでは侵略した国でも、出雲に不利でも、自治を認めていたみたいです。
出雲の直轄地。
それだと蕎麦の文化が、関西を飛び越して関東にあるのも納得する。
また、江戸総鎮守の神田神社、武蔵国総社の大國魂神社、武蔵国一の宮の氷川神社が、出雲の神様たちなのも頷ける。
大國魂神社なんか1900年の歴史がある。
氷川神社のウィキには、出雲の民が移住し開拓したと書いてある。
史実になる物証が何もないけれど~~~。
期せずして、古代の歴史に手を触れた形になった参拝でした。
ちなみに、男神様がいらっしゃいました。
この方が志理太乎宜命(しりたおぎのみこと)様なのか、五十猛命(いたけるのみこと)様なのかは不明です。