大人になる前に知るべきことがある。 | 明け行く空に…。  ~ひねもすひとり?~

大人になる前に知るべきことがある。

 
「無礼講」という言葉があります。
私たちサラリーマンってのは、この言葉の真意、恐ろしさ、そしてその極悪非道さってことを、時に時間をかけてゆっくりと認知する。
場合によっては高い授業料を支払うことにより、一晩で理解させられる。
 
私の経験上、「無礼講」はその意味が「社交辞令」という言葉と表裏一体であると言える。
ときに「美辞麗句」という言葉とその含みを共有しているとも言えるだろう。
 
  
 
「今週末、みんなで飲みにでもいくか」
 
 
ある朝、窓際の上司が朝の開口一番呟く。
この上司、酒の席での口癖が「無礼講」だ。
だが、その言葉が正に社交辞令だってことは皆が知っていた。
いや、正確には一度彼と同じ席で酒を飲んだことがある輩は知っていると訂正しよう。
 
あれよあれよという間に、飲み会の招集範囲と日時、場所が決まっていく。
思ったよりその召集範囲は広がりを見せ、結構の大所帯での宴が企画されることとなった。
 
オレは隣の席で日々苦行に耐えている、つーかオレの与える毎日の罰ゲームを嫌な顔一つせずこなしている新入社員のザキ19歳に優しくアドバイスする。
 
「おいザキ、飲み会決行の日までに無礼講って言葉を辞書で調べておけ。後の判断はお前に任せるからな」
 
オレの言葉を聞いたザキは、高校時代に一度も触れたことが無かったが、社会人になり初任給で購入したまだ真新しい国語辞典を引き難しい顔をする。
 
「先輩、意味わかんないっす」
 
だめだこりゃ。
仕方が無いので、ヤツの言語に変換してニュアンスを伝える。
 
「いいかザキ、無礼講ってのはな、1年生が3年生にタメ口をきいてもいいってことだ。だがな、もしお前が3年で1年にタメ口きいてもいいぞって言ったからって、本当に1年がタメ口きいてきたらどうする?」
 
「いや、そん時はそいつボッコにしますね」
 
「ま、社交辞令ってのはそういうことだ。運動部での上下関係において3年ってのは神だ。この場合上司は3年の先輩だと思え。だけど先輩が無礼講って言ってるんだから、余りにも他人行儀なのもいただけない」
 
「分かったっす!2年のレギュラーが3年の先輩に接するような関係、それが無礼講っすね!」
 
「そうだ、それが無礼講だ」
 
 
 
そしてその日は訪れる。


「よぉーし、今日は無礼講だ!新入社員も管理職も関係ないから楽しく飲もうじゃないか!」
 
窓際上司の掛け声により宴が始まった。
およそ25人の大所帯となった酒の席は、和やかに口火を切る。
ザキを含めた新入社員は3名。
ひとりは隣の部署の大卒女子社員。
そしてもうひとりは逆となりの入社試験トップの男だ。
男の方は聞くもの全てがひれ伏すほどの高学歴でプライドが高く、どうやら所属部署で浮いた存在になりつつあるとザキが言う。
彼ら3人は仲良く並んで座っていた。
最も年下のザキは、女子新入社員よりも下座に着いた模様。
よし、オレの教えをしっかり理解しているな。
最早この席でオレが先輩風を吹かせることもないだろうと、ほっと胸を撫で下ろしグラスに注がれたビールを飲み干すオレ。
それを見たザキは即オレの元へ跳んできて、空いたグラスにビールを注ぐ。
 
「先輩、いい飲みっぷりですね、どうぞ」
 
オレは黙ったままその酒をグラスに受け、笑顔で言った。
 
「なぁザキ、こういう場合は先に部長の所に酒を注ぐのがセオリーだぞ」
 
ザキは全てを理解したような笑顔を見せると、ボソッと言葉を吐き捨てて席を立つ。
 
「先輩、偉いのは部長かもしれんですが、俺にここでの戦い方を叩き込んでくれてんのは先輩なんっすよ。俺がトライを決めれてるのは先輩のおかげっすから」
 
ザキのラグビー経験者らしい発言がオレに笑顔をもたらす。
 
「おいザキ、いつお前がトライを決めたんだ?得点はいつだってお前が無茶な攻撃で突っ込んだ時に拾ってきたペナルティーキックをオレが蹴った時に拾ってるんだぜ」
 
オレがそう言うと、ザキは左手にビール瓶を握り、右手の親指を立てたポーズで満面の笑みを浮かべて部長の元へと速攻を仕掛けに向った。
オレはザキの注いだビールの入ったグラスを少し高く掲げ、ちょっとだけそれを笑顔で見つめた。
 
 
その後、和やかに時が流れ皆ほろ酔いになってきた頃、新人たちの席からけたたましい声が聞こえてくる。
オレは若手女子社員たちとの宴席トークを満喫していたのに、水を差すような大声に舌打ちしながらもその発生源に視線と聞き耳を向けた。
 
「いいかザキ、そもそも哲学ってのはな……」
 
なにやらザキと入社試験トップの男が盛り上がっている。
おいおい、ザキに哲学論なんて、馬の耳に何とかだぜ……と一時聞き流すが、その後の大声にオレは咄嗟に立ちあがった。
 
「おいザキ、俺の酒が飲めないってのか!」
 
トップの男のその言葉にオレは2人の間に割って入ろうとした。
そもそもザキはまだ未成年。
このご時世、無理に飲ますのはさすがにそれは許されない。
 
だがザキは、上手いこと酔った相手を操るがごとく、その場を繕っていた。
 
「おいザキ、ちょっと煙草買ってきてくれねーか」
 
オレは先輩風を吹かせるような口調でザキにそういいながらポケットから千円札を取り出して、ザキを外に連れ出だす。
 
「先輩、あいつやっちゃっていいっすかね、さすがに年上だから我慢してるっすけど同期って言ったらタメみたいなもんっすよね」
 
オレは取り出したお札をポケットに押し込み、煙草に火をつけて言う。
 
「なぁザキ、お前が直接手を出しても損するだけだぜ。いいか、席に戻ったら無礼講だから部長んとこに酒注ぎに行こうってあいつを誘え。あいつまだ行ってないだろ、部長のとこ。いいか、無礼講って言葉を強調しろよ」
 
そう言ってオレは煙草をザキに勧めた。
 
「先輩、オレはスポーツマンっすから」
 
そう言ってザキは笑顔を浮かべた。
 
 
程なくして彼らは部長の元へと向った。
ザキは早々にオレの元へと帰ってきたが、入社試験トップの男はどうやら部長と激論を交わしているようだ。
 
そして中締めが行われ、一次会はお開きとなった。
オレは気の会う男女の仲間数人とザキを引き連れてその場を逃げるように後にした。
 
二次会は無礼講。
本来のその意味に反すること無く盛り上がった。
ザキが部長への生贄に捧げた男のことを気にしながら言う。
 
「あいつ、部長に連れられてどっか行きましたけど、どこいったんですかね?」
 
オレは女子社員とのセクハラ寸前の会話を楽しみつつ、ザキに言葉を返した。
 
「やっぱアレじゃねーか。先輩に牙を向いたヤツは体育館の裏にでもつれられて行ったんじゃねーか?」
 
それを聞いたザキは言う。
ココだけの話、ほろ酔いになってしまっていたザキが言う。
 
「それじゃ俺は、もう一人の同期の姉ちゃんを体育倉庫にでも連れていくことにしますか……」
 
 
 
そう言えば、その後の3次会の席にザキとその他新入社員の姿が無かったのはここだけの話。
 
 
そんな感じで。