「正当化する」ということ。 | 優しく、楽しくなるための日々。

優しく、楽しくなるための日々。

毎日誰かを笑顔に
人の痛みが分かる人間に

最近~ということシリーズ多いな。
たまには普通に日記をはさんだりしようとか思ってるゆらちむですん!
今日は早起きさんだよ!

おはよおおおおお
$優しく、楽しくなるための日々。

友達が書いたGAGA様。

・・・笑



今日は、「正当化する」ということ。
ついつい私たちは、日々の生活のいたる所で自分のことを正当化しているように思います。

「正当化してるんじゃない?」
と聞かれてギクッとしない人は、相当自分に謙虚に生きているんだなあと感心するぐらいには
自分も気をつけていないと、傲慢になり、自分のことを正当化してしまっているように思います。

例えば、2つの状況を考えてみる。
もしあなたが、小さい自営業のお店に買い物に行って、お釣りが多かったとする。
「うわ!こんな貰ったらこのお店かわいそうやん!ちゃんと返したげよ!」
と思う人が多いだろう。
   ―ではもう1つ
大きい会社。たとえばIKE●で買い物をして、お釣りが多かったとする。
「うわ!でもこんな貰ってもレジのおねえさんになんか損害あるわけでもないし、
大きい会社ねんから少しカモっても大丈夫やろ!」

と思う人が、前の状況よりも多いだろう。

この2つの状況のどこが違うかというと、
・大企業の過失によって現実に損害を被る人はいないし、
企業側の損失などは、私たちが得る利益に比べれば、取るに足りないものだ
と潜在的に思ってしまうから。
・お金を自分のものにできれば、それはそれは単純に嬉しいから

要するに、その自分を正当化しようとしているのだと思う。
でも実際どちらもしていることは「窃盗」の類であり、
「正当化しよう」と思ってしまうということは
そもそも「よくないこと」なのです。


では、「正当化する」とはそもそも何なんでしょうか?
わたしが思うにそれは
「力をもたせる」ということ。
言い方を換えると
「自分の権力を過信する」ということ。
自分に自信がない人は正当化すらなかなかしないと思うんです。
政治家なんて、権力をもちすぎているから、
自分の発言に力をもたせすぎているから、
みんな「正当化」してしまっている。


自分の行動を振り返ってみて、どうですか。
私には痛いところがいっぱいあります。

人間、「謙虚に、謙虚に。」ってちゃんと言い聞かせていないと
忘れてしまうんです。
傲慢になりがちな生き物だと思うんです。

でも行動にそれがあらわれた瞬間に、人はついてこなくなると思います。


自分に都合のいい考えに偏るのではなくて、
自分の利益を正当化する考えに偏るのでもなくて。
それをすると、自分に説得力がでるから、自信もつくのだろうけど。

けど、気をつけたい。
結局人間は自分を正当化しがちだという潜在意識に負けずに
「謙虚に、正当化せずに」
生きたいなあって思うのです。