「むずかしい」という言葉のもつ破壊力 | 優しく、楽しくなるための日々。

優しく、楽しくなるための日々。

毎日誰かを笑顔に
人の痛みが分かる人間に


自分がブログに文字化していることって、
特に考えなくても、支障なく生きていけるんです。

だから、わかる人には響くんだろうし、考えた事がない人に対しては
すごく自己満な自己流哲学な感を与えてしまうんだと思う。




自分が日々考えていることやブログに書いていることには
正解はありません。
優しく、楽しくなるための日々。
だって、形のないことばかり書いているから。
抽象的な概念を文字化しようとしているだけだから。

そういう事を「むずかしい」って言葉で切ってしまうのも簡単なこと。
抽象的でもやっとして、答えのない問いだからこそ
「むずかしい」の5文字で切ってしまえば
「ああ、そうだよね。難しいよね。」って思考停止させることだってできると思うんです。

ただそれをしたら、せっかく日常に「なぜ」という問いを持ち込んでいるのに
形になる前に、「なんだかもやもやしたもの」で終わってしまう。

正解がないからこそ、考えて、考えて、【自分なりの答え】をもつことが必要。


どんな議論にしろ「んー。難しいですね。」ってよく言う人がいるんだけど、
考えているようで考えていないんですよね。
そういう人は、悶々とした問いをもつことを面倒に思っていたりする。


営業をしていると、社長さんで「んー。難しいなあ」っていう人がいる。
そう言う人はまず
①ただただめんどくさいと思っている
②どの営業も同じだと思っている
③メリットを感じていない
どれかの場合が多いから、まずメリットを感じれるように
そこに気付けるような話し方をする。
要するにポジショントーク

「むずかしい」というとき、
人間って「むずかしい」なんてこれっぽっちも考えていなかったりする。

言い訳などの逃げ
であったり、
自分の思考力が足りていなかったりする事が多い。

だから薄っぺらい「むずかしい」なんて言葉は使いたくない。