私の退院とNICU通い | 娘が教えてくれたもの

娘が教えてくれたもの

不育治療の末、3人の子供を授かりました。
3人目が生まれてから口唇口蓋裂・睡眠時無呼吸症候群・てんかん・喘息・発達遅延、、、
色々な疾患が次々と分かりました。
上2人、健常児だったので戸惑う事や、色々な心の葛藤をそのまま残して行きたいと思います。






情緒は安定しないけど、
最後まで産科の看護師さん、助産師さん、先生に
本心を伝える事が出来ぬまま
予定通り私は産後5日で無事退院した。



入院中は、出来るだけ笑顔でいた。
同室の人とも仲良くしてた。


「大丈夫ですか?」の問いには
笑顔で「大丈夫です!」としか
答えられない性格。




でも夜は寝れず、安定剤だから、
バレてはいただろうな。




今となっては後悔してる。
先生に詳しく聞けば良かった。




いつ頃分かっていたんですか。
どうして教えてくれなかったの。
教えて欲しかった。



ちゃんと聞けば良かった。












退院して、自宅に帰った。
3人目なので里帰りはせず。





病院は隣の隣の市。
決して近くはないけど、
通えない距離じゃなくて良かった。





毎日毎日通った。

ナナに会いに。

搾乳したおっぱいを持って。

毎日何時間もNICUにいて、
出来る限りのお世話をした。




私のせいでこんな思いをさせてるのだから
私が出来る精一杯の事をしよう、
ずっとその気持ちだった。





毎日見ていると、
ナナのお顔、見慣れてしまって、
おかしな話だけど、
「ナナのお顔って周りから見て変なのかな?
あまり変わらないんじゃないかな。」
と本気で疑問に思えた。





多分この頃から、
ナナのお顔を、
これがナナだと受け入れたんだと思う。