無差別事件の真の背景(占星術以外の理由) |  ZEPHYR

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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

25日深夜、私の地元の岡山でも、無差別殺人が起こりました。
岡山駅のホームで仕事を終えた勤め人が、列車が入ってくる直前に背中を押され、線路に突き落とされ、結果的に死亡しました。
犯人の18才の少年は、「誰でも良かった」と――。

土浦市の無差別殺傷事件でも、犯人の男性は最初、小学校を襲撃しようとして、たまたま卒業式で人が多かったので断念、駅構内と通路で次々に人を傷つけたという話。
小学生の児童が凶刃の犠牲になった可能性を思うと、これも身震いがしてくる。

昨夜、私は仕事を終えた後、同僚でK配ぜんのリーダー、Aさんと個人的に話す時間があった。
「こんな事件がこれから増えてくるんでしょうか」
たしかに3月は、占星術的には「血の匂いがする」運気(非常に嫌な言い方で申し訳ないけれど、本当にそうなのです。だから3月の予測をしたときも、そのようなことを書いた)。
これは今年の主役、冥王星を火星が強烈に刺激しているためです。
「死の星」=冥王星と「争い、暴力の星」=火星。
これが今月の末まで続くからこそ、きわめて危険だと感じていたわけです。
これは、とりあえず今月で力を弱めます。今年中にまたこの二つが関係を結ぶときに、似たような出来事は起こってくるかも知れません。

今回の岡山での事件で非常に強く感じたのは、この事件は決して他人事ではないと言うことです。
身近で起きたからと言うわけではなく、それは被害者・加害者の双方の父親からのコメントをニュースで知ったからです。
被害者の父親は、はらわたが煮えくり返るような思いを呑み込みながら犯人に対して、「まだ少年なんだから、社会復帰して人のためになるような生き方をして欲しい」と。
なかなか言えるものではない。
そして加害者の父親は、親子で日常的に会話もし、コミュニケーションも取り、これまでいじめに遭ってきた息子に対して心を配ってきたらしいことが伺え、その上で「どう償っていいか分からないけれど、私の責任だ」と――。
聞いていると「こんなに注意していても、こんなことになってしまうのか」と、なにか愕然とし、「この親御さんと自分との間に、どれほどの隔たりがあるだろうか」と強く感じさせられました。

このようなことは、私たちの日常にも起こりえる――。
私たち自身が、この被害者の親、加害者の親、両方になりうる――。

そして、ふとこのような事件、被害者と加害者の両方を創っているのは、私たち自身ではないのかと、そんな思いが胸をよぎりました。
少年のしたことは決して許されない行為です。
幸せに家族との暮らしを送っていて、これからマイホームを買おうとしていた一人の男性。
背中を押す、ただそれだけのことで、命を奪ってしまった。

だが、こんなことを簡単に(とは言い切れないかも知れませんが、そのように見える)してしまえる少年を創り出しているのは、私たちと私たちの社会ではないでしょうか。
二人の父親の背景に、この社会で生きている無数の私たちと同じ存在を見た気がします。