ダビデの哀歌 [サムエル記 第二 1:23] | 進藤龍也牧師のヤクザな日記

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ダビデの哀歌


[サムエル記 第二 1:23]


  サウルもヨナタンも、

  愛される、立派な人だった。

  生きているときも死ぬときも、

  二人は離れることはなく、

鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。


観察

とうとう命を狙うサウル王が死んだ。

殺すことは二回もできたが神ご自身が裁くことを信じて忍耐した。

そして戦争でサウル王は死んだ。


私がダビデの立場だったら、喜んだと思う。不謹慎なので、喜びは出さないが、心の中で安堵したと思う。


しかし、ダビデは心から悲しんだ。

これが神の心である。


ダビデはサウル王に取り立てられ千人隊長になり、華々しく世に出た感謝を忘れなかったのだ。


愛されたい人に憎まれると言う辛さをダビデは味わった。

愛しても愛しても拒絶されると言う辛さを味わった。

ただただダビデは拒絶されても愛することを選んだ。神のようではないか。


人を愛すると言うことは何なのか?

人を赦すと言う事はどういうことなのか?それをこの哀歌は教えてくれる。


祈り

のように、素直にまた神の御心近くに生きていきたい。ダビデは歌いました。あなたの庭にいることが私の幸せなんだと。言い換えれば臨在の中にダビデはいつも痛いと願いました。私もそのように思っています。あなたの大庭にいつもいられますようにアーメン